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タイプ1の9段階【解説版】

性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム

性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム

  • 作者: ドン・リチャードリソ,ラスハドソン,Don Richard Riso,Russ Hudson,橋村令助
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2000/07
  • メディア: 単行本
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上記書籍P501~524を参照して作成しました。

 

 

健全なタイプ1

段階1ー賢い現実主義者

・自分の衝動が怖れていたほどには支離滅裂でも脅威的でもないことがわかるので、自分の人間性を全面的に表に出すことをはばからない。

・超自我が自分自身の中で非理性的で支離滅裂であると宣言した部分は、それ以外の心の部分と平衡を保つようになり、性格全体として統合される。

・主観の側面と客観的な現実とが同列のものになり、きわめて現実的になって、人生を、そして、自分自身すらも受け入れる。

・自分自身についても非常に現実的なので、並外れて円熟し、分別がある。

・まだ理想に惹かれてはいるが、それを一方的で息苦しい命令としてではなく、個人として達成する意味を持つものとして考える。

・すべてを完璧にする必要も、自分自身が絶対的に完璧な存在になる必要も感じない。

・あらゆる状況に適用できるような絶対的な理想とルールを見つけることはできないことを知る。

・偉大で気高い精神を具現する。

・並外れた判断力を持つので、あらゆる性格タイプの中で最も賢明である。

・理想にではなく現実に根差しているので、彼らの判断はとびきり素晴らしい。

・どのような状況にあっても、論理的な理由づけなどを飛び越えて、為すべき最善のことを明察する。

・世界でどのような行動を取ることが正しく適切なのかについて、最も明晰な感覚を持ち、他者にもそれを指針として探し出すように促す。

・寛容で自分自身を受け入れるが、他者も同じように受け入れ、他者に寛容である。

・よく情報に通じた善意の人たちが到達した意見の差を尊重する。

・他者にもその人自身のやり方で、その人自身にとっての真理を自由に発見出来ることを理解する。

・反対の立場や見方の底に流れる深い真理を見つけることができ、その真理を人に伝えるときに、何か特定の表現方法だけにこだわることはしない。

・他者が理解しやすいように真理を語ることができる。

・タイプ1が持つ理想によって他者が脅かされることはない。

・自分の考えよりも究極の価値を大切にするので、これほどまでに寛容になることができる。

・卓越した精神領域を常に念頭に置いていることで、現実に対してより大きな展望を持ち、それがまた、すべてのことを正しい文脈で見る能力を彼らに与える。

・認識力は非常に深く、どのような状況下でも、本当に最重要なことに焦点を合わせることができる。

・一目で何が「より大きな善」かを見分ける。もしそれがわからないとしても、分かるまで待つことができる。

・真理は実在するし、究極の価値は客観的であると確信している。

・他者が正しいとする誤りに気づく。

・道徳的秩序に置いている信頼は非常に深いので、自分の目で見て他者の生き方がすべて誤っていても、その人たちを許容する。それは、誤りが最終的に真理に打ち勝つことはないと信じるからである。

・真理は現実の本質そのものであるから、真実であるものは常に勝つと信じる。これこそ、完全に現実的であることがなぜ賢明であることなのかの理由である。

・超越した現実主義者であるが、それは、自分自身の現実に対する個人としての理解を超越してしまっていて、理解も表現もできない何か深遠な段階ですべてが申し分ない「森羅万象はあるべきものとして姿を見せている」と知るからである。

 

段階2ー理性的な人

・調和が取れておらず、堕落し、「悪い」人間になるという怖れに屈して、すべてに正しくありたいと願うことでその怖れを埋め合わせる。

・世界、他者、自分自身と正しい関係を結ぶことで完全無欠性を手にしたい。

・自己感覚は、常に理性的、良心的であることが基になっている。

・本当に理性の化身である。

・きわめて分別があり、思慮深く、理性的な良識の典型である。

・まだ非常に優れた判断力を持ち、文字通りあらゆる状況において、重要なものをおおよそは見分けることができる。

・どんな決断を下すにせよ、その結果を知ることができるので、さまざまな問題(特に道徳的な問題)をはっきりと選り分けることができる。

・価値判断を下すことを怖れず、「これは正しい、これは誤りだ」、「これはいい、これは悪い」と言うし、自分の判断に対しても、その判断に従った行動に対しても責任を取る。自分の判断をこのように表現するので、それは実際以上に論理的に人の耳に響く。

・事実、彼らの判断は心の奥深く自分の内臓で感じ取った確信から来ている。

・正邪は抽象的な分類区分ではない。それは激しい感情の問題であり、調和の取れた善き人生を生きるための中心となるものと考える。

・調和の取れた人生を生きることは、健全な判断を下すのに必要な客観性を保つためには、絶対に必要なことだと信じる。

・何が正しく何が誤っているかを客観的に判別するときに、個人の気まぐれや感情に邪魔されたくない。

・非常に客観的なので、自分自身を脇から観察して、自分自身の行動や態度や感情を評価することができる。

・誤りを犯したくないが、それと気づけばすぐに自分の誤りを喜んで認める。

・誤った考えにしがみついても、得るものは何もないと感じる。

・道義に適っていることと真実であることが彼らには大切で、優越感から誤った意見にしがみつくことはない。

・健全な良心を持つので、性格と文化が認める範囲で、正邪や善悪の区別がつく。

・良心が彼らを動機づけるので、自分が正しいと信じることを行なう。

・自分自身の中に自己中心性や狭量さ、理不尽な熱情などが少しでも宿っていればそれに気づき、そういった種類の感情を治めようとする。

・自分が徳に適っているとき、そして、もちろん失敗すれば深い後悔を感じるとき、自分自身に安らかでいられる。

・何にも増して道義に適っていたく、健全なときには道義に適っている。それも、それとしての自己意識を持たずに。

・廉潔で責任を取る人物であり、節度と一貫性を持った人生を生きたいと思う。

・自分の人生で、理性、節度、中庸、公明正大ということがどれほど価値があるかを理解しているので、自分が内在化させた抑制がいかなる点においても自分を制約するとは感じない。

・実際に、良心からの制約がなければ、人間社会は成り行かないと信じる。

・どんなものであれ自分に美徳があるとは感じないし、自分が善でありたく、人生の悪と苦悩を味わいたくないという事実すら感じない。

・人生は気楽で苦労がないとは期待しないが、悲観主義者ではない。彼らは単に現実的であるだけである。

 

段階3ー節操の高い教師

・良心を持つことによって、優れて道徳的で有益な人生を送ることができる。それは、彼らが正しくありたいと願うだけでなく、正しいことをしたいと願うからでもある。

・客観的な価値のあることを実行に移したいし、自分の熱情で左右されたくない。そのようしていれば、可能な限り人間的でありつつも、客観的に正しいことをすることができるだろう。

・前の段階では道義に適っていることが中核となる価値であったが、この段階では真理と正義が視野に入ってくる。

・他者が公正に扱われることに極端に関心を払う。

・どんなことについても不正ということを嫌う。

・正義と道義性に燃える。この二つは無味乾燥な原則ではなく、自らの熱情である。

・他のどの性格タイプよりも、道徳への自らの信念のためには我が身を危険に曝すことをいとわないし、他の誰かに対して不正に振る舞うよりは、自分自身で不正に耐える方がいい(この点で、健全なタイプ1は健全なタイプ8と見誤られる)。

・桁外れな人としての無欠性を身につけ、きわめて倫理的である。

・嘘をついたり誰かをだましたりすることは、実際問題として考えられない。

・きわめて節操が高く、個人としての基準があってそこから逸脱したくないし、客観的で合理的な根拠と考えることに基づいて決定を下し、自分の直接の利益は無視して物事を行なう。

・健全な自己規律を身につけ、自分の行動が長期にわたって及ぼす影響を見据える力がある。

・自らの信条のためなら自分自身、自分の財産、自分の評判、そして自分の生命すらも危険に曝す。

・自らの信条を犠牲にしたくないのは、そんなことをすれば自らの人としての無欠性を損なうことになるし、他者の無欠性を侵すことで、何か本質的なもの、つまり、自分にとって深い満足の源である善なるものと美徳を包容する力を崩壊させることになるからである。

・自分には使命容易ならぬ目的が課せられているという感覚を持つ体験をしたい。

・人としての無欠性、真理、使命感が結びつくと、非常に責任感があり、信頼できる人物を生む。この点では健全なタイプ6に非常に似るが、タイプ6は、自分が正しいことをしているという再保証を自分自身の外に求める傾向があるのに対し、タイプ1は、自分自身に内在する道徳という羅針盤に繰り返し繰り返し立ち戻る。

・責任感は、自分の理想、つまり、人生での使命を成就しようという内面の本能的欲求から生じる。そのことはまた、その目標達成に向けて大きな集中力と動因を(健全なタイプ3のように)与えることになる。

・自己規律があることが身上である。

・一つのことに踏みとどまり、気を散らすもの、慰めを与えてくれるもの、気楽な解決への誘惑などは脇に置いて、自分の目的を達成することができる。

・正しいことを擁護し、他者の良心や善意や公正さに訴え、自分の信念を怖れ気もなくはっきりと表明する。それは誰かが喜ぼうと、喜ばなかろうと関係ない。

・社会のために行なう少なからぬ善は、道徳の師、「真理の証人」になって、自らの信条と道徳観を他者に伝えることである。

・知識の塊をただ伝達することに限るのではなく、調和ある生き方についての理想像を伝える。

・正しいことと誤ったこと、また、正しい行動と誤った行動がもたらす結果について明確な観念がないと、自分には人生の指針がなく、それを見出す手段もないとして、怖れを抱く。

・彼らの良心は、全人類に課せられた義務ではない。

・自分個人を手本にして教えるのであって、他者に説教するのではない。

・他者が自分に耳を傾けても傾けなくても、真理は最後には聞き届けられると確信する。なぜなら、真理は無視することのできない声によって魂に語りかけるからである。

 

通常のタイプ1

段階4ー理想主義の改革者

・ますます超自我に導かれることによって、超自我に背くときの罪悪感や不安に常に支配されるようになる。

・もし、何らかの理由によって、他者が自分の信条に無頓着であり、自分の努力は「注意を引く」ことすらないことを怖れるようになると、さらに高い水準ですべてに卓越しようと懸命になり始める。

・あらゆることをもっと良くしたい。大義を掲げる人になり、自分自身にも他者にも果てしなく改善を追求するように熱心に勧める。

・健全なタイプ1と通常のタイプ1との違いは、通常のタイプ1は自分だけが皆のための答えを持っていると確信するようになる点にある。自分だけが、身の回りに目にする混乱を「解決する」ことができる。

・個人の良心は、あらゆることに理想を追い求める義務感にまで高まっている。そのため、倫理的に優越した立場から世界に関わるようになる。

・他者は自分自身ほどにはきちんとしておらず、方向づけられてもいないことを体験として知るようになり、自分の理想が高貴であることを理由にして、高い身分に伴う義務感を感じる。

・個人として理想であると何かを定義づければ、それは他のすべての人にとっての規範となる。

・すべてのものの正しいあり方を自分は知っていると確信する。

・道徳的な「ねばならぬ」、「ベきである」ということの重みを感じる。

・タイプ1がこれこれのことをするべきであり、あるいは、してはならないだけでなく、他の人たちもすべてそうでなければならない。

・人間性について、自分自身は他者よりもずっと穏健で分別もあると考える。

・小さすぎるとか個人的過ぎるものも含めて、万人が従うべきルールをつくる。

・必ずしも攻撃的ではないが、他者に物事を「指摘する」とか、他者の行動から生まれた関連問題を説明することを強要されたと感じることが多い。

・自分の理想にどれだけ近づいているか、いつも意識しているので、進歩というのは、彼らにとって重要な概念である。自分に関わる領域ではすべて、その進歩のほどを測りたい、少なくとも自分の道徳的な物差しでと強く思う。

・きわめて目的意識に溢れ、常により高い目標を視野に入れている。

・常に自分自身を高め、何か価値あることをしているべきだと感じる。

・どの問題でも自分の立つべき位置が正確にわかるし、伝道者の熱意を持って自分の立場を主張する。

・ふつうはきわめて理路整然としており、議論をするのが好きで、自分の見解を効果的に示すことができる。

・自分の立場は正しいと心の底から信じているので、ものすごく大きな自信を持つ。

・本当の問題そして、他者との間の厄介事はここから始まる。

・世界、人々、現実はすでにそれ自体の形を持っているが、それに別の形を与えたがる。

 

段階5ー規律正しい人

・この段階までにタイプ1は何らかの公的な立場と主張を明確にしている。

・家族や友人との間だけでも、私的な感情と理想のための公的立場との間に少しでも矛盾を抱えたくない。彼らは人生のあらゆる分野、特に自分自身の衝動と情動を統御していたい。

・健全なときの自己規律は、素っ気ない効率性と規律一辺倒に堕落してしまっている。

・すべてを律する規律感が欲しい。

・厳格な超自我は彼らの感情や欲求に対抗するので、心理状態の二重性が露呈する。

・すべてを黒か白かで判断する。そこには主観的な好みの余地はまったくないし、あり得ようはずもない。そんなものはただわがまま勝手としてしか見ない。

・非人間的な規律と秩序が、自分自身も他者も環境も統御しようと試みるための主要な手段となる。

・綿密入念に、しかも、徹底的に、世界をきちんと組織しようとする。

・細かいことにやかましく、考え得る限りすべての不測事態に対して計画を立て、それをやり遂げる。

・組織立てられていることを絶えず気にかけている。

・どこにいても規律正しくで、するべきことの表を作り、時間を無駄にしないように注意深く計画して予定表をつくる。

・常に時間に正確で、他者にも同じように時間を守ることを強く求める。

・人生は容易ならない事業であると感じる。義務からの解放などはあまりないし、緊張が取れて、やりたいことが何でもできると感じる時は滅多にない。

・考え方もまたきわめて秩序立っている。丹念で、いつも正確で、論理的に区別をつけることに熟達している。

・曖昧さは面倒の元であるとわかっていて、物事ははっきりと黒白で理解しようと懸命になる。

・不幸なことに、現実には、物事はそれほど簡単に区分できるものではないのに、通常のタイプ1は、現実は曖昧ではないと決め込んでいる。

・自分の頭の中で重要度の階層をつくり上げ、すべてをそれで判断して、自動的に階層づけやそれへの評価を割りつける。

・出来事にはすべて論理的な理由があるはずだと信じていて、誰かが彼らの見方と矛盾するような情報を彼らに示すと、喧嘩腰になる。

・出来事に具体的な説明を求めるのは、明確な直接の原因がなければ、自分の行動をどうして人に説明する責任を負えるだろう、と思うからである。

・フロイトの言う肛門タイプに該当する。

・明確な優先順位を持っており、人生で自分にとってあまり重要でない分野は、きちんとさせる衝動が向けられることがあまりない。

・しかし、優先順位の高い分野には非常に注意を払う。そういった分野では、あらゆることが整然とし、清潔で、きちんとしていて欲しい。場にそぐわないものや、どっちつかずのものがあってはならない。

・タイプ1の規律正しさは、特に彼らが働いている組織や社会全体にとって、多くの優れた効果を発揮する。物事が組織立っていれば、すべては順調に進行する。

・気の向くままに振る舞うことを滅多に自分自身に許さない。

・人間関係では、少し勿体ぶった「正しい」やり方で、それにふさわしくあろうとする傾向があって、自分自身を表現するのに礼儀作法とエチケットに頼る。正しい立居振舞いをすれば、個人的な感情を顧みないで社会的に正しく行動することになる。

・自制することが自分の望みなので、衝動を敵に回し、まるで個人の好みは何か怪しげなものででもあるかのように、自分がしたいことと反対のことをする。

・自分の衝動に絶えず抵抗しているので、それまで以上にその衝動によって統御されるようになる。

・どちらのウイングを持つかでかなり変わってくるが、一般には、通常のタイプ1には禁欲主義的で、謹厳で、純粋培養的な性質がある。それは特に娯楽と自分の欲望に関係する事柄で著しい。

・タイプ1の中には、性的な衝動が特に脅威となる人がいるが、それは、そういった衝動は非理性的なものであるだけでなく、禁じられた性質のものであって、厳しい良心に反するかもしれないからである。

・筋肉はこわばっていることが多い。口をすぼめ、歯を食いしばり、顔と顔は硬直している。「緊張した、張りつめた、こわばった、融通が利かない」という言葉は、彼らのこの段階での多くの振る舞いだけでなく、感情の世界にも当てはまる。

・自制的であるが、自分自身をそのように考えることは滅多にない。

・自分には非理性的な衝動と禁じられた欲望があることを非常によく承知している。

・無意識の世界には関わらないのが賢明であるとタイプ1は考える。

・この段階は、発達の諸段階に沿って堕落するときの転回点である。

・抑えつけられた衝動は、抑圧に対する防壁を破り続ける。

・この段階から先では、非理性的な衝動を自分の抑止力で抑え込んでおけるように、自分自身も環境もこれまで以上にしっかりと統御しようと試みる。

・内面の秩序を求める欲求も外の世界の秩序を求める欲求も弱めることなく、あらゆるところで無秩序を根絶することに取り憑かれたようになり始める。

 

段階6ー善悪で判断しがちな完璧主義者

・自分の衝動を統御しようと厳しく努めれば努めるほど、自分は羽目を外すことができないと感じる。

・挙げ句の果てに、自分が懸命に成就しようとしてきた秩序と均衡を他者が「台無しにする」のではないかと怖れ始める。

・内面からの導きと理想主義からの声は甲高く、しかも、批判的になっている。今や規律正しいことだけでは充分でない。完璧さが求められる。

・自分自身にも環境にも求める規律の正しさや自己統御が実現されなければ、極端に脅かされるようになる。

・他者に対する以上に自分自身に対して厳しいことが多い。

・超自我は、とげとげしく要求がましくなっている。

・絶えず物事のあら探しをし、現状そのままに満足することができず、他者に裁かれるという怖れを過補償して、彼ら自身が「裁判官」になる。

・自分自身に正式に許す唯一の情動は、さまざまな形を取った怒りである。

・自分の怒りの程度に気づかないのがふつうで、ときには、自分が怒っていることにすら気づかない。

・あらゆることに非常に批判的なので、他者に干渉し、にべもなくその邪魔をし、何を為すべきかを絶えず語り、彼らの誤りを指摘し、どのようにして自分自身を向上させるかを説教する。

・「そう言っただろう」、「私の言うことを聞いてさえいれば、こんなことにはならなかった」というのは、善悪で判断しがちなタイプ1がよく口にすることである。

・あらゆることに批判的で、尊大な態度を示し、人に説教をし、叱責する。

・些細なことにすぐ腹を立て、妥協を許さずに規律を強いる人で、忍耐心がなく、難癖をつけ、すぐに平手打ちを食わせる。

・自分のまわりの人たちは怠惰で無責任であると考える。

・何事にも見解を持っていて、それをただの個人的な意見ではなく「真理」であるとして持ち出す。

・自分も誤りを犯すことがあると、善悪で判断しがちなタイプ1が思うことはない。

・まず絶対に自分の意見を変えない。なぜなら、自分の意見は理想に基づいており、その理想は何事についても「正しいこと」がどこにあるかを教えてくれる羅針盤の方位のように固定しているからである。

・人生は、このように、個々の事象に理想を当てはめる果てしない作業、絶えず誤りを正していくこと、他の誰かが最初に拙劣なやり方をしたことをやり直す終わりのない仕事になる。

・他者が失敗したり、他者のしたことに完璧さが欠けていたりすると、まるで皆のしたことで自分が個人的に傷つけられたかのように、憤慨し、怒りでいっぱいになる。

・他者に向けた自分の批判が正しいとしても、彼らは非常にとげとげしく、癇にさわるような態度を取るので、実際には公然たる無視や反抗を招く。

・他者を喜ばせることにではなく、他者に正しいことをさせることに関心がある。

・仕事中毒であり、四六時中生産的でないと罪悪感を覚える。

・しかし、完璧主義のタイプ1は、細かいところを気にするので、皮肉なことに、彼らの効率は下がることが多い。

・常にもっともらしく向上を図るが、それは何かが本当に向上を必要としているからではなく、自分の存在を正当化するために物事を向上させなければならないからである。

・非常に激しやすく、批判を悪く受け取る。誰も自分ほどにはうまく仕事ができないと感じるので、仕事や決定を誰かに譲りたくない。

・彼らの完璧主義は、彼らが行なうことから喜びを奪い取る。

・人との争い事が増える。

・その上に、自分では実際にはほとんど何も知らない物事について断定を下す習慣を身につけて、他者に高飛車な態度を取り、やり方を教えなければ正しいことは何もやろうとしない子供に対するように他者に物事を説明する。

・彼らは人々に対して、当人には何ができ、何ができないかを話してやる気になっている。

・彼らの超自我をなだめることはほとんど不可能になってしまっている。内面からの仮借ない批判の声にかまわないでいることは、ほとんどできない。

・自分に降りかかった基準に合わせたことを証明することに必死になっているが、その基準は高くなり続ける。こうした自責の念に絶えずさいなまれている。

・他者にいらいらし、批判的になる。

・超自我が最も非難する快楽の中に秘密の慰安場所を見つけようとし始める。

・しかし、自分が強く主張する考え方に矛盾すると思われてはいけないので、タイプ1は可能な限りこういった行動を他者から隠そうとする。

・完璧さという重荷が、他者の肩に掛かる以上に、自分の肩に掛かっていることが不公正に思える。

 

不健全なタイプ1

段階7ー不寛容な人間嫌い

・客観的な事実としても、誰かの優れた論証によっても、誤っていると証明されることを自分自身に許すことができない。

・自分の言うこと、することのすべてにわたって常に自分は正しい、と完全に確信している。

・理想は厳格で不気味な絶対的なものになってしまっていて、絶対に妥協しない。

・すべての物、すべての人を絶対、正と邪、善と悪、救われた者と地獄に堕ちた者、という見地から見る。

・絶対的な完璧さとの妥協を必要とするような状況を考えることを拒否する。

・どんなに小さな不完全さでも、容赦なく根絶されなければならない。

・人間性は愛するが、個々の人間を憎悪する人間嫌いになる。

・自分自身を非難の対象から除外する。

・極度に独善的であり、完璧さという最も厳格な理想を支持していれば、その理想を実行に移しても移さなくても、自分を正当化できると感じる(私は正しい。だから、私の言うこと、することはすべて正しい)。

・タイプ1のできることに充分に善なるものが何もなければ、唯一の救いは、他者の中により大きな「悪」と無秩序を見つけることでしかないだろう。

・ますます他者の悪事に注意を注ぐようになる。それが内在化した保護者像の懲罰から逃れる道である。

・怒りは彼らの最も顕著で、おそらく唯一の感情として残る。

・悪事を働く者に正義を行なうとき、完全に非人間的になれると考えたい。

・自己像は脆く、それは自分自身を完全に善良で道義に適っていると見なすことで成り立っており、しかも、極端に否定的な超自我を補償するものでしかない。

・他者の持つ信念やその行為にはまったく我慢ができず、自分に同意しない者は誰でも不道徳で邪悪であると考える。

・怒ったように自分の見解を他者に押しつけ、他者には正しいことをさせなければならないと感じる。その正しいこととは、もちろん彼らが定めたものである。

・自分の立場を強め、他者には誤っているとか罪を犯していると感じさせるために、宗教、正義、真理、彼らの理想のどれか、またはすべてが引き合いに出されるかもしれない。

・しかし、そうすることで自分自身を奇妙な立場に立たせ、誕弁を用いなければ守れない見解を持ち出すようになる。

・自分が詭弁を使っているのかもしれないことに気づくと、瞬時も躊躇しない。

・自分の怒りが手に負えなくならないように、彼らは自制を強めようとする。しかし、自制を失っていきつつある。

・感情と衝動を強く抑え込むために、鬱状態は厳しく、しかも、長期間続くことになる。この状態は、彼らが腹を立て、駆り立てられている性質を持っていることと対比すると、非常に対照的に見える。

・努力はしているのかもしれないが、自分の超自我の攻撃と激しい怒りを他者に転嫁することがまったくできない。

・怒りの一部は同じように自己にも襲いかかるので、幻滅して疲れ果てることになる。

・アルコールや薬物の濫用とか、仕事に打ち込みすぎて急激に身体が弱る、というようなことが珍しくなくなる。

 

段階8ー強迫観念にとらわれた偽善者

・今や、あらゆることが激怒の的になっていて、それに取り憑かれたようになる。しかし、自分自身を統御する必要があるので、怒りのままに行動することができない。

・自分の求めている統御が崩壊しつつある。

・強迫観念のような思考が繰り返し彼らの頭をよぎる。しかし、強迫観念は、自分に信じ込ませている信念にとっては大きな脅威になる。

・強迫観念の強さは神経症的なタイプ1を非常に悩ませ、彼らは抑圧された感情と衝動に取り憑かれている。

・タイプ1を混乱させているものは、他者、特に自分の苦悩に責任があると彼らが感じる人たちへの強い憤りと憎悪である。

・多大な時間を費やして自分の思考を統御しようとする。

・自分の本当の問題以外の何かに思考を集中させるために、神経症的なタイプ1は清潔さに取り憑かれたようになるかもしれない。

・あるいは、重箱の隅をつつくような掃除の仕方や計算に精力を注ぎ込んだりする。

・彼らの強迫観念は彼らを深い混乱に追いやるので、衝動的と言うのにちょうどいい程度に行動表出し、そのために、専横的で、何につけ矛盾し、偽善的になる。

・ほとばしり出る衝動によって支配されていることに気づいていないときは、自分が表明している信念とは反対の行動を取るかもしれない。

・スキャンダルになったり、信望をなくしたりする。

・邪悪な行為に引きずり込まれる。なぜなら、感情を完全に抑え込んでしまっているので、自分の情動を否定したり、ねじ曲げたりしてしまっていて、いびつな人間になってしまっているからである。

・情緒面の生き方が奇形化していることが、神経症的なタイプ1もその衝動も危険なものにする。

 

段階9ー懲罰的な復讐者

・誰かが、あるいは、何かがとても受け入れがたい感情をかき立ててしまったため、その感情を直接に処理することができない。

・理想によって動機づけられているとはとても言えるような状態ではなく、強迫観念や衝動強迫が完全に手に負えなくなる前に自制を取り戻すことが、最優先に必要な状態になっている。

・見かけの上で自分の混乱を引き起こしたと見える原因を取り除くように試みることで、神経症的な葛藤を「解決」し、それによって自分が他者の悪行であると思うことに対する激しい怒りを自分自身に駆り立てる。

・しかし、本当に危機に瀕しているのは彼ら自身の精神の健全さである。

・彼らの矛盾は非常に深刻であり、強迫観念は非常に強く、しかも衝動強迫は非常に険悪なので、神経症的なタイプ1は後に引くことができない。

・自分が誤っていたのかもしれない可能性は、分裂しつつある自我にとっては到底受け入れられないことである。

・これまで以上に自分自身を正当化しなければならない。他者は誤っていることが証明されなければならないだけでなく、罰せられなければならない。

・正義の報復の対象になった人たちに対しては、どんな愛情も、慈悲も、人間的な共感も示されることがない。

・非人間的なまでに残酷になり、持てる力をすべて使ってでも他者が確実に罰を受けるようにする。「彼らは当然受けるべきものを受けているだけだ」というのが彼らのスローガンであり、目的が手段を正当化するので、どんな手段でも用いていい。

・完全に無慈悲で、他者の過ちを許さなくなり、不当な行為や残虐な行為を始めるが、その一方では、それらを人間ではないものの仕業のように見せかける。

 

感想

健全なタイプ1と通常のタイプ1との違いは、通常のタイプ1は自分だけが皆のための答えを持っていると確信するようになる点にある。

 

完璧主義的な通常のタイプ1は、少なくとも時々は、自分自身を自分が批判する対象に含め、完璧さを達成し損ねたときは罪悪感を感じる点で、不寛容な不健全なタイプ1とは異なる。このようなことは、不健全なタイプ1にはもう起こらない。彼らは自分自身を非難の対象から除外する。

 

エニアグラムを知らない人間から見た場合にも、「健全か不健全か」非常に分かりやすいタイプだと思われる。恐らく段階によらず一貫して、自己を他者に対して偽る事が少ない為。よく言えば正直、悪く言えば頑固。

 

以前「タイプ1の悪役は意外と描きにくいのではないか?」という説を立てたが、タイプ1の説明を見ると実際にそうだと思われる。健全な段階では本人の道徳的価値観が勿論それを許さない。通常の段階では自己批判の精神が残っている。描く際の制約が意外にも多い。

 

(不健全な段階の、本人なりの頭がパーな理想を唱える悪役はそこそこ見覚えがある)

 

タイプ1は裁判官という言葉を用いて語られる事が多い。通常の段階では自らが被告人として登場する事がある(この際の裁判官は「保護者像」だろう)が、不健全な段階では一方的に裁判官として振る舞う。健全な段階にて漸く裁判からは解放されるが、多くの人間が健全な段階に至る事なく人生を終える事を加味すると、法廷で一生を過ごすことにもなりそうだ。

 

ウイング9とウイング2を比べると、ウイング9は人間よりも自然や芸術、動物に興味を示すが、ウイング2は人に強い関心がある。ウイング9は理念に注目するが、ウイング2は人間に注目する。