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タイプ8の9段階

性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム

性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム

  • 作者: ドン・リチャードリソ,ラスハドソン,Don Richard Riso,Russ Hudson,橋村令助
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2000/07
  • メディア: 単行本
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 上記書籍を参照して要約しました。

 

 

健全なタイプ8

段階1ー度量の広い人 

最高の状態では、健全なタイプ8は気持ちが大きく、思いやりのある人物であり、自分自身の依枯地さを放棄して、自分自身の野心を超えた何か偉大なことに奉仕することができる。彼らは真に無私無欲になる。 受け身で効果のないやり方とてつもなく大きいエネルギーと活力をすべて使わないようにしてでではなく、まったく利己心なく行動するという意味で。健全なタイプ8はより偉大な価値のために何がなされる必要があるかを正しく捉え、それを行なう。彼らはまた、自己主張に向かう自分自身の衝動に従って自動的に行動することはしないことを学び取る。 それ以上に、内面がより静かになること、そして、より深く真実な衝動が心の中から立ち上るのを待つこと を学び取る。その衝動は怖れや反応に基づくものではない。自分自身とタイプの熱情を抑えて、自分がそうしようと決めれば他者に対して力尽くで行動することができるときでも、そのように行動しないことによって自分の本当の強みが持つ深みを証明する。逆説的であるが、タイプ8は、自制を持って行動するときほど 強く見えるときはない。彼らは我慢強くなり、支配というよりも寛大な統治というべき性質を成就する。しかし、健全なタイプ8は、お人好しではないし、自分の自立を損ねるような危険に身を置くことは決し てしない。事実、自分の存在の最も深いレベルにおいて、自分は完全に自由で自立していることを知る。内面にはとてつもなく大きな素質や能力、そして、活力を持っており、人生における難題をますます引き受けることができる。これは、非常に健全なタイプ8なら自分自身のこともより適切に面倒を見ることができるからである。同時に、「人はみな持ちつ持たれつである」ということがわかっている。自分に助けが必要なときには、実際にそれを求めるし、自分が他者を助けるときは、非常に寛大である。そのお陰で肩の荷はずっと軽くなり、生まれながらに持つ人生への喜びと愛を湧き出させることができる。自制心は大きな勇気があることを証明するもので、その勇気の大きさは、彼らが何かをするにせよしないにせよ、そのことで自分自身の身を危険に曝すことで実証される。非常に健全なタイプ8は、肉体的な勇気だけでなく道徳的な勇気も持っており、自分が信じるもののために自分自身を危険に曝す。そのため、彼らは英雄と見なされ、他者は彼らを仰ぎ見て、深く尊敬する。タイプ8は心理的潜在能力を持っていて、最大多数の人々ために最大の善をなし得る。非常に健全なタイプ8は誰もがカリスマ的で、完璧な自制心と思いやりが醸し出す独特の雰囲気を発していて、他者はそれに惹かれ、導きと安全と保護を求めて彼らのまわりに集まってくる。

 

段階2ー自信に満ちた人

健全なタイプ8でも、いつも段階1にいるときのように健全であるとは限らない。他者に傷つけられたり 支配されたりすることへの怖れに負けると、自分自身を守り、自力本願でいたい欲求が生まれる。人生の道は自分で切り開きたいので、まわりの世界に対して自己を主張し、自らの意志の力を生み出し、それを強化する。タイプ8は、自分自身の運命を支配している、自分は「思うままに振る舞える」と感じたいし、自分の目標を追求する自由と余地を手にしていると確信したい。障害を克服する力があることを疑うことはほとんどなく、それが健全なタイプ8に桁外れに大きな自信を与える。力強い人間であるという自己感覚は、意志の力全体をかけて外の世界の挑戦に対抗する体験を持っていることから来る。自分は堅実であり、自信というものによって他者に自分の内面の力を伝えていると感じる。 自分は逆境と闘ってより強くなれることを知っている。自分自身の権利と必要を擁護する能力を持ち、自分にどんな圧力が加えられてもそれに抵抗する意志力を持っていることを知っている。自己を主張すればするほど、健全なタイプ8は自分自身を信じ、困難を克服する自分の力を信じる。明らかな挫折を新しい好機に転じる呼吸を心得ていて、目標を目指して進み、逆境から学ぶ。健全なタイプ8は、 何かがなぜできないのかを問うことはせずに、自分がやると心を決めたことはどんなことでもやれるという 自信があると感じる。他のいくつかの性格タイプとは違って、自己不信や不安や自信のなさに悩むことは滅多にないし、度を超した自己省察や自分の主体意識について関心に耽ったりすることもない。彼らの特性には、全体にわたって辛抱強さ、強大な意志の力、自己を主張する能力が見て取れる。タイプ8については、微妙なところや遠回しのところはまったくない。環境において逆境を克服すればするほど、 彼らの自己感覚は強化されるし、好機と思われることに出会えば、それをすべて自己主張のための誘因にする。健全なタイプ8ではまた、直観が非常に発達していて、ふつうはそれが外の世界に向けられている。タイプ8には「予感」がある。他者が気づかないような可能性を人についても状況についても見つける。

 

段階3ー建設的な統率者 

タイプ8が、力が強く、断定的で、自立した人間であるという認識を自分自身について持ってしまうと、自分はそもそも弱く、臆病で、依存的な人間ではないかと怖れるようになる。そのため、彼らは世の中に出て行って挑戦を引き受け、自分が強くて自立性があることを自分自身に証明しようとする。彼らは建設的で威信みなぎる統率者となり、新しい挑戦を受けて立ち、価値ある目標を達成するために自らの力を振るう。統率力を構成する性質は複雑で、それを理論として具体的に定義することはむずかしいが、タイプ8を見れば、それを身をもって示しているので、統率力とはどういうものかが自然にわかる。健全なタイプ8には、いかにも熟達したという感じと権威、果断さと名誉を重んじる心が表れている。彼らは人から信じられ、信頼され、尊敬される人物である。つまり、問題を解決したり、その強さを生かして他者に代わって戦うことを頼まれることがある。他者を力づける指導者や統率者、また、他者の必要の面倒を見る保護者や一家の大黒柱として、人々が健全なタイプ8を見るのは当然である。健全なタイプ8からは生まれながらの統率者という雰囲気がにじみ出ており、自分自身にも、正真正銘自分のものである業績にも正当な自負を持つ。この段階での健全なタイプ8にも、自我がないわけではない。しかし、彼らの自我は何か自分自身の外にあるものに奉仕していて、他者が万人に価値ある目標を達成できるように促す。タイプ8が場にいるときは、その指揮を執っている。タイプ8が健全なときは、他者は 彼らに指揮を執らせることを気にかけない。なぜなら、彼らが高潔であることがはっきりしていて、万人にとって最高の利益を心にかけているからである。タイプ8の意志が堅く、果断であるときは、その意思決定も公正である。その上、非常に説得力があるので、きわめて実戦的な統率者になる。すでに見てきたように、 桁外れに大きな自信を持ち、自分の行為の重要性を信じているので、他者に意欲を起こさせることができ、 他者は快く彼らの統率力を支持する。彼らの統率力でもう一つの鍵になる特徴は、意思決定の能力である。個人としての流儀では、タイプ8は率直で熱がこもっていて、その特性を生かして自分の引き受けた企画を実行することに力を傾ける。たとえ不人気なことであっても一つの立場を取ることを怖れないし、むずかしい意思決定を行ない、自分の決定したことには完全に責任を取る。他者は、健全なタイプ8の下した決定に必ずしも喜ばないかもしれないが、 それでも、彼らは「非難を受ける」ことをいとわない高潔な人物として尊敬される。他者の尊敬を得ることは、健全なタイプ8にとって非常に大切なことである。彼らは自分の仕事上の関係で高潔であり、信頼に値しようと一所懸命に努める。握手の一つ、言葉の一つが彼らにとっては神聖なものであり、仕事上の契約を握手だけで決めることもしばしばである。しかも、彼らは他者も同じように振る舞ってくれることを期待する。しかし、愚直と言うにはほど遠く、相手の評判が良くなく不正であると信じれ ば、その人との取引をすぐに打ち切る。事実、不正と名のつくことはどんなことでも、彼らは本能的に感じ 取る。タイプ1も公正とフェアプレイに関する問題に鋭敏であるが、タイプ1は自分自身についても他者についても、内面化された基準倫理規範に従ってその行為を評価する傾向がある。タイプ8の場合は、 反応はもっと彼らの腹から来る。タイプ8は、他者が虐待されているのを見たり、自分自身の利益が侵害されていると感じたりすれば、本能的に反応して、自分自身でも驚くほど素早く行動に移る。強盗を取り押さえたり、犯罪が犯されている現場に割って入るなど、思いがけず新聞の社会面の記事の主人公になったりするのは、タイプ8なら一人にとどまらない。この段階でのタイプ8は、先見の明のある人でもある。直観が建設的に使われて、他者のための可能性をつくり出す。

 

通常のタイプ8

段階4ー進取的な冒険者 

タイプ8が、自分自身で設けた大きな挑戦と目標を引き受けると決めてしまうと、それを達成しないでおくという可能性が常に生まれることになる。そのことを他人に知られるようなことは絶対にしないが、大胆で自信に満ちた外見とは裏腹に、引き受けた責任を「首尾よく果たす」自分の能力に対して少しばかり不安や疑問が生まれ、それが彼らを不安でさいなむようになる。そういった怖れに屈服すると、その状況下で勝利を収める自分自身の能力に自信を失うようになる。そのため、自分の「責任」下にある人々の安全と幸福を守るために、計画を進めていくのに必要であると感じる資源や方策を結集することに自分のエネルギーを集中するようになる。そのため、彼らの優先順位には決定的な変動が生まれざるを得なくなる。それは最初のうちは微妙なものかもしれないが、後になって大きな結果に繋がる。健全なタイプ8は、人生と人生での挑戦に対する情熱、 真実と公正への愛、自分自身と他者に対する大きな可能性への理想に導かれていた。通常のタイプ8はそう いったものへの焦点をある程度失っていて、実利主義と、自分の大仕事をただ続けて伸ばしていくというだけの欲求から動くようになる。 すべての人の恩恵に資する理想はどこかに行ってしまって、世の中は過酷で、競争に満ち、共食いのような激烈な競争の世界であると見るようになる。自分自身と「自分の人民」にとって最高のものを欲しがるが、 タイプ3とは違って、そのことで抜きん出ることは念頭にない。物事を興奮を呼ぶ挑戦とか成長の可能性としては見なくなり、利害得失、勝利と敗北の視点でしか見なくなる。しかも、自分は敗者の側には絶対に立たないと決心している。健全なタイプ8が抱く自信や人生への活力は人に伝わりやすい。彼らは心温かく陽気な人たちで、本当に人間が好きである。通常のタイプ8には、まだ温かさを示すときも移り気なときも残っているが、何かに駆り立てられた「現実的な」性質が表れてくる。働き者で、粗野で、会話の仕方は事務的である。実体は実務屋でないとしても、家族でも色恋沙汰でも、まるで仕事のように扱う傾向がある。物的資源が不足していれば、いくつもの仕事を同時に引き受けて、家族が充分なお金を手に入れられるようにする。それはまるで、人を統率する能力に自信がないために、防御施設を構築し、必要資源を備蓄することに走っているかのよう である。段階4でのタイプ8は、自分の用事をうまく進めることで頭がいっぱいになっているが、自分が気遣っている少数の人たちをまだ厳として守ろうとしている。自分が対応している人たちの輪は確かに大きいかもしれないが、心配したり気遣ったりする人の範囲は狭くなっていて、それによって彼らの抱えている自信のなさ加減が読み取れるであろう。通常のタイプ8はまだ友好的であるが、簡単には他者に敬意を払うことがなく、それ以上に簡単に好意を寄せることもしない。しかし、不安は大きくなるので、通常のタイプ8はより衝動的に自己を主張するようになる。他者に対する評価は厳しくなり、他者には「何かに能力がある」と感づきでもすれば、対立を起こすことをためらわない。まわりにいる人たちからは、例外なく絶対的な誠実さと率直な話のし方を求める。通常のタイプ8は自分の考えをそのまま話すのがふつうであることは事実であるが、そうなると、タイプ8が自分からは話した くない話題が増えてくる。それは特に、自分の感情や傷つきやすさに対する怖れを他者に明かしてしまう分 野である。彼らは自分自身を、自分のことは自分でできる「強固な個人主義者」であると考えるのが好きで、自分自 身も他者もそれぞれに、自分自身の利益を追求できる自由企業体制を信じている。

 

段階5ー支配的な権力の仲介者 

この段階では、タイプ8は数多くの計画、企画、事業などで全力疾走している。「仕事に成功する」ために、あるいは、自分の力と能力を自分の目で見られるようにしながら自分の世界を取り仕切るために、全力で打ち込んでいる。しかし、企画がうまくいかなかったり、他者が自分を尊敬していないとか自分の努力に感謝していないと感じると、さらに攻撃的に自分自身を主張するかもしれない。それは、財産を手に入れるためではなく、他者に自分の力と重要さを見せつけようとしてのことである。タイプ8は、自分が「大物」 で「ボス」であることを、自分の領分にいるすべての人に得心させたいし、自分自身にもその仕事に向いていることを納得させたい。その結果、通常のタイプ8はふたたび焦点を動かして、今度は企画から自分自身に注目を移す。タイプ8 は、まわりの世界に自分個人としての衝撃を与えたい。自分自身自分の意志と自我がそこで大きな場を占めているのを見ていたい。環境は自分自身の投影であり、また、自分の意志の力と偉大さの証であって欲しい。この段階か、それより下にいるタイプ8は、幼児期に、常軌を逸したような養育を受けていたのであろう。彼らはまた、タイプ4のように、自分の自己像を支える環境をつくり出そうと努力している。 タイプ8の自己像は力強く、自立していて、統御しているというものなので、もっと強力に世の中に自分自身を主張したい。それができれば、自分が成し遂げた成果、自分の活動、まわりの人々に対する努力をしっかり見ることで、自分は確かに彼らを統御していると確認することができる。さらに、他者に傷つけられ、 統御されるという、根元的怖れが高じてきていて、活動領域に少しでも競争があると、それに我慢ができなくなっている。他者の強みや重要さが脅威になり始めていて、この段階でのタイプ8は自分が責任者であるということをあらゆる人に通告する。 

 

段階6ー対決的な敵対者 

タイプ8が他者に対して自分自身を主張し、まわりの人たちを牛耳って自分の課題を追求し続けると、苦情と抗議を受けるようになる。その苦情が自分の「保護下にある」人たち自分が養っていると思ってきた人たちから来れば、特に落ち着きを失わせることになる。タイプ8にとって、このような状況はたちまち危機に結びつく。自分の状況の統御を失いつつあるという怖れ、もっと悪く言えば、自分が保護してきた人たちが自分の権威に挑戦しているという怖れが生まれる。少なくとも、他者は自分の後押しをしてくれていないと確信する。自分は戦いに向かって進軍しているのに、後に続く軍隊がいない。こうなると、怒りが急速に表面に噴き上がる。競争の世界で挑戦を受けたと感じるし、国内戦線で挑戦されたと感じる。人生のあらゆるものが戦闘になり、通常のタイプ8は、まわりの全員に圧力をかけて「体制を整え」、自分の課題に同調させなければならないと感じる。ひどい欲求不満になり、誰も信じられないと思う。頑張って物事を起こさせなければならない(このことは何かの機械を相手にして、まったく文字通りに短気を起こすことで明らかになることがよくある。タイプ8が欲求不満になると、時計を壊したり、説明書を読みもしないで 電気製品を思い通りに「協力させよう」としてスイッチを切ったりする)。そのため、通常のタイプ8は、自分自身が譲歩しようとはせずに、他者を譲歩させようとするので、すべてを対立関係に変えてしまう。彼らは自分自身を戦士であると思っていて、自分にとっては客観的な重要性をほとんど持たない事柄からも、意図的に対立をつくり出す。しかし、彼らにとって常に重要なものは自らの自我である。自分の面目がかかっているので、彼らは譲歩しない。仕事仲間から八百屋に至るまで、あらゆる人が敵に回る。タイプ8は人々に圧力をかけるようになり、単に相手を牛耳るだけでなく、自分の望むものを手に入れるまで、威し、威圧する。この段階でのタイプ 8は、やりたいことをやり通せることになるのなら、喧嘩っ早く、腕力尽くの人間になる。決して謝ることのないごろつきとして、自分のまわりにいるように他者に命令し、自分の命令がすぐに実行されなければ怒りを激しく爆発させる。自分の脅威となる人物を屈服させることが気に入っていて、その人を自分の前で縮こまらせる(「言う通りにしろ!」)。通常のタイプ8が進取の気性に富むことは前の段階で見てきたが、ここではその気性によってすでに 「勢力基盤」を確立しており、その実効性は他者に及ぼす影響力の大きさに比例している。他者が必要とするものを持つことを引き受けたとき、通常のタイプ8の力は最も効力を発揮する。自分が望むことを他者がせざるを得ないようにするために、食べ物や避難所や安全といった生きるための必需品を支配しようとする。人が最も必要とするものの一つがお金であることはもちろんであるが、タイプ8がお金をどれくらい力として考えているかによっては、もっとお金を持つことに、ずっと高い優先度を与えるようになる。そういうタイプ8にとっては、お金は自分自身と人生での自分の成功を測る尺度になる。

 

不健全なタイプ8

段階7ー無情な無頼漢

タイプ8は、自分を取り巻く世界を威圧し、その世界と対決する戦いを続けてきた。しゃくの種は巨大なもので、ほとんどすべての人間関係は我慢の限界点に達し、それを超えてしまった。この局面では、他者が自分に背こうとしていることを正しく認めて、その人たちを見放すか、あからさまに対立するかする。こういった事態の曲がり角に来ると、実利主義的なタイプ8は立ち止まって、戦術を考え直すことになる。しかし、危機状況に圧倒されていたり、幼児期に並外れた虐待を受けていたような場合は、世界に一歩を踏み込んで行くことがある。今や、自分が生き残り、敵に勝つためには、ほとんどどんなことでも する覚悟ができている。悲しいことであるが、彼らの状況認識は完全に妄想的であるとは言えないかもしれ ない。タイプ8が他者を本気で挑発したとすれば、その人たちは彼らに対抗するために一致団結しようとするであろう。生か死かということになってしまった局面比喩的には間違いなく、文字通りとしてもそれに近いで勝ち残ることは大問題である。通常のタイプ8の実利主義は、不健全な段階では無情で残酷なものになっている。この段階では、 「力は正義、勝てば官軍」という哲学に堕落してしまっている。不健全なタイプ8は、密林の掟と適者生存原則を論理の根拠として、自分の目的に適うときには力を行使する。彼らは今や自分自身に対する法であり、 理念より権力を基盤とした世界に世をすねたようにして生きる。その世界で重要なのは、正邪にかかわらず、 勝ち残る力を持つことである。功利主義がすべてである。 幼児期での虐待や喪失、さらには近年での損失や人間関係の崩壊などを体験しているので、この段階でのタイプ8は、完全に裏切られ、拒絶されたと感じる。誰も信頼できないし、世界は残酷で無慈悲なところであると思う。自分自身を社会の除け者、「役立たず」であると思う。自分は戻ることのできない一線をどういうわけか踏み越えてしまったと信じる。社会が受容できるとして認めた限界を超えてしまった少なくとも自分はそう信じるので、失うものは何もない。一度罪を犯してしまえば、別の罪を犯すことはそう気にならない。犯罪者という立場はもう決まってしまったのだ。そこで、不健全なタイプ8は、実際に犯罪行為を犯すことができる。他者に統御されるという怖れが非常に大きいので、自分に少しでも制限が課されれば、それはすべて公然と無視するための誘い水である。砂地 に一本でも線が引かれれば、絶対に越えなければならない。不健全なタイプ8には従うべき規則は存在しないし、自分が規則を作る立場にまだいるとすれば、まったく無制限に他者に統御を及ぼそうとする。不健全なタイプ8は完全に無情で、横暴で、暴虐である。彼らは人々を迫害し、その権利も自由も尊厳も奪い取る。不健全なタイプ8と親しくなることは不可能であるし、信頼することは危険である。なぜなら、好意とか協力の徴候に少しでも気づけば、それをすべて弱さの印と考えて、他者を利用していいという誘いを受けた と受け止めるからである。不誠実で、不道徳なので、嘘をついたり、だましたり、物を盗んだり、約束を反故にしたりしても、あまり良心の呵責を感じない。自分の欲しいものを手に入れるためには、どんな不法行為や策略でも使おうとする(大虚偽宣伝では最も頻繁に犯人として挙げられるし、露骨で悪意に満ちた嘘が際限なく、しかも、精力的に繰り返されるので、まるで真実であるように受け止められるようになる)。健全なタイプ8が持っていた誠実さ、率直さ、思いやりは、まったく逆の性質に歪んでしまっている。この段階で特に危険なことは、ほんのちょっとしたきっかけででも、暴力を振るう意志とその熱意すら持っていることである。

 

段階8ー全能の誇大妄想者 

不健全なタイプ8が不法行為と暴力と社会への復讐の世界に居を構えると、ほぼ間違いなく強力な敵をつくり出す。その最大のものは国家権力であるかもしれない。他者に対して暴力を使って行動したとすれば、 自分に対する報復の脅威は現実に差し迫ったものになる。暴力による報復は視野に入れないとしても、破廉 恥な活動に巻き込まれていたかもしれないし、財産面で没落させたいと思っている債権者や敵対者に追いかけられていたかもしれない。健全なタイプ8は、他者から情熱的な反応を呼び起こすことができた。同じことは不健全なタイプ8にも言えるが、その情熱はまったく異質なものである。そういった精神的重圧の下で生きていると、タイプ8は、自分自身を守り、攻撃で傷つかないようにする 思いに取り憑かれたようになる。その目的で現実的な方策を採ろうとすることも多い。電話番号を変えたり、私立探偵を雇ったり、身を隠したりする。しかし、絶え間ない脅威と共に生きるストレスやまだ一度も負けたことがないという現実があるので、時が経つにつれて、自分は無敵であるという幻想が生まれるようになる。そうなると、自分は傷つけられるはずはないと信じるようになり、自分自身や力の大きさについて妄想的な観念を発達させる。誇大妄想症患者になり、全能で無敵自分の絶対的な力が及ぶ範囲の中では神のような存在であると感じる。この段階でのタイプ8は、自分が持っている力ならどんな種類の力でも一つに結集して、他者に恐怖を与え、その人自身の安全に対する怖れを抱かせ続ける。通常のタイプ8は威しをかけて人を怯えさせようとするかもしれないが、神経症的なタイプ8は、自分が本気であるということを見せるために、悪意のない人たちを罰したり、傷つけたりすることもある。単に恐怖を感じるという程度以上に力の行使を強めることができるという警告を他者に送りたい。 また、情け容赦なく力を行使することで、人としての限界は自分には当てはまらないと次第に思い込む。それまでどのような制限も甘んじて受けたことはないので、神経症的なタイプ8は、他の人々には与えられていない特権が自分には天命として与えられていると信じ込むようになる。自分はスーパーマンで、「道徳律」 が及ぶことはないし、好きなことは何でもできると思う。常にやりたいことをやり通してきたので、自分は無敵ではないということを信じるのはむずかしいことに気づく。それまで自分を止めた人はいなかったので、 今度は誰かに止められると考えなければならない理由がない。自制力はまったくなくなっているので、神経症的なタイプ8は、自分の絶対的な力を束の間でも立証するために、それまで以上に狂暴なやり方で神の如く振る舞う。死への性的な陶酔がこの段階で現れる。

 

段階9ー狂暴な破壊者 

誇大妄想のタイプ8であっても、自分に向けて結集された力に永遠に屈しないでいることができないことはわかっている。そのため、自分がやっつけられる前に相手をやっつけようとする。神経症的なタイプ8は、すべての性格タイプの中で最も著しく破壊的であり、反社会的である。しかしそれは、健全なときには最も建設的なタイプであることと同じである。彼らにとってただ一つの重要事は生き残ることなので、そのためにはあらゆる人、あらゆる物を犠牲にしようとする。妻、子供、友人、仕事仲間、自分が築き上げたものすべて、達成したことすべてが犠牲にされる。力が持つ暗黒面は破壊への積極的な意志であり、世界が自分の思い通りにならなければ、神経症的なタイプ8は何も残らないように世界を破壊するであろう。彼らは、自分の力が許す限り最大の規模で破壊する野蛮な破壊者になる。 それはまるで破滅への旅をしているようなものである。自分が生き残るためにはすべてを犠牲にする気になっているが、他の誰もと同じようにタイプ8も、いずれそのうちには生命を落とすのであるから、それは馬鹿げており、不合理である。他者が死んだからといって、それが彼らの生き残りを保証するわけではない。 まったく逆である。破壊的なタイプ8の行為が引き起こす恐怖によって、自分自身に破壊をもたらす。また、偉大で不滅であろうとする努力に失敗して、人から呪われ、うまくいっても悪名だけが高くなる。自己保存への欲求から始められたことが破壊に終わるのは皮肉である。このように、創造と破壊はタイプ8の性格の両極端である。創造への欲求と破壊への欲求は、同じ衝動から生じる。しかし、生への衝動が、 いかなる犠牲を払っても自分自身の生命を救うことであると定義づけられることになったその時から、その衝動は堕落を始め、破壊的なものに変わる。神経症的なタイプ8は、他の誰とも一体化したことがまったくないので、何かを破壊することができる。 自己中心的なので、世界の中で自分自身だけを見ていられる。そして、世界が彼らを映し返してくれなけれ ば、破壊してしまいたいくらいに世界を憎む。しかし、世界が実際に彼らを映し返すとしたら、それは一体どのような世界だろうか?