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タイプ2の9段階

性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム

性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム

  • 作者: ドン・リチャードリソ,ラスハドソン,Don Richard Riso,Russ Hudson,橋村令助
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2000/07
  • メディア: 単行本
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 上記書籍を参照して要約しました。

 

 

健全なタイプ2 

段階1ー公平無私の愛他主義者 

最高の状態のとき、健全なタイプ2は驚くほど私心がなく愛他的で、付帯条件のまったくない真に無条件の愛を他者に捧げ続けることができる。その無条件の愛は、タイプ2に、自分自身を顧みることなく、また、必ずしもお返しに愛されなくても愛することを許す。自らの愛に「お返しをもらうこと」は、彼らにとって重要なことではない。真に無条件の愛は自由なものであり、また、自由にすることである。健全なタイプ2は、愛するか愛さないかは自由であり、他者がそれに応えるか応えないかも自由である。他者は、たといそれが成長して離れ去ることであるとしても、その人自身の条件に従って成長することが許される。健全なタイプ2は、誰か他の人物の人生の一部になることを許されるのは素晴らしい特権、他者が彼らに与える贈り物であり、彼らが自分自身のために当然のように要求できるものではないことを、いつも心に留めている。 これは段階1にいるから可能なことであり、彼らは自分自身の本当の感情に焦点を合わせ、自分自身を本当に育てることを学び取っている。健全なタイプ2は、自分は利己的であると感じたり、利己的になると他者を遠ざけてしまうと怖れたりすることなく、自分自身のために善であることをすることができる。自分自身を愛し育てることを学べば、他者から愛を得ようと努める必要はない。彼らは誠実に自分自身の必要を検討評価して対処することができるし、自分の人生で関わりを持つ人々の必要をもっと客観的に考え、それに対応することができる。時折は、自分は何もしないことが最もいいことであると考える。非常に健全なタイ プ2にとって、与えることは一つの選択であって、強制されたものではない。

 

段階2ー面倒を見る人

常にこの公平無私な愛他主義という頂点に立って生きているのではないとしても、健全なタイプ2は個人として他者の幸福に関心を持ち続ける。感情面で他者に順応するので、あらゆる性格タイプの中で最も感情移入する人である。感情移入は、他者と共に感じ、その人の感情を自分の感情であるかのように感じることができる性質である。感情移入は、他者の感情を自分の感情とし、他者の必要を自分の必要とする。健全なタイプ2は、深く感情移入することで、他者の場に自分自身を置いて、思いやりと気遣いを感じることができる。苦しんでいる人の感情に共感する強さを持つ。たとえば、テレビで大きな災害のことを聞くと、彼らの心は被害に遭った人々のもとへと飛んで行く。友人が結婚問題や仕事の問題を持っていれば、深い同情の念を寄せる。誰か他の人が自分の気持ちをわかってくれている、誰かが自分と一緒に泣き、自分のことを気にかけ、自分の必要を真剣に考え、自分を助けるためにできる限りのことをしようとしてくれている、ということを知るだけでも、苦しんでいるときは大きな慰めになる。 この段階では、タイプ2は非常に健全で素晴らしい人物であるが、段階1で体験した自由を幾分か失 ってしまっている。それは、タイプ2が自分の焦点を他者の方に移しているため、自分自身の感情とはいくらか接触が失われ始めているからである。彼らはまた、自分で感じ取れた感情が何であれ、それをそのまま受け止めるのではなく、自分自身を他者に対して良い感情を持っている人物であると思い始めてもいる。

 

段階3ー人を育てる助力者

健全なタイプ2は、自分がどれほど他者を愛しているかを表現するのが好きである。他者に対する強く肯定的な感情は、必然的に彼らを行動に駆り立てる。したがって、この段階では奉仕が基調となって他者に与える人となり、さまざまな目に見えるやり方で他者を助けることに大きな満足を感じる。困っている人や自分の面倒を見ることができない人に尽くし、飢えた人には食事を与え、裸の人に服を着せ、病人を見舞い、慈善活動に自ら志願し、他者を助けるために自分の裁量に任されているものすべてを利用する。 健全なタイプ2は、たとい都合が悪かったり、それが困難なときにわざわざ自分の手をわずらわすことになるとしても、他者に手を差し伸べ、実のある援助を与える。他者の物質的、心理的、感情的、精神的な必要を格別に気にかける。頼りにしていい人だということを他者は知っているので、タイプ2は危機的状況に あっては特別の存在である。夜中に助けを求めて電話してもよいことがわかっている人である。時間、注意、 金銭など諸々のものを惜しみなく与える最も良い意味で自己犠牲的である。事実、親身な気遣いと実際的な助力とを独特な形で併せ持つので、人々は健全なタイプ2を探し求める。もちろん健全なタイプ2であっても、四六時中他者の必要に奉仕するために走り回っているわけではない。 それでも彼らは、贈り物をするような感覚で自らの中で他者と分かち合う喜びを体験するし、タイプ2にはあからさまな面倒見以上にそれを表現する方法はたくさんある。タイプ2は自分が持っているものを何でも分かち合いたいし、歌や演技といった才能、料理、個人的な持ち物、果ては自分の時間までがそれに含まれる。健全なタイプ2は、何か価値あるものを他者に与えることができれば満足するし、他者が成長するのを見ることで満足する。 こういったことがすべて可能なのは、健全なタイプ2は自分自身の限界と必要をはっきりと知っているからである。しかも、自分ができる方法ならどんなことでもして他者を助けることに、心からの関心を抱いていながらも、自分の肉体的、感情的な限界も知っていて、それを超えることはない。他者の世話をしながら、 自分自身の世話もする。

 

通常のタイプ2

段階4ー大仰な友人

健全なタイプ2が真に善良であるのに対して、通常のタイプ2は、自分の感情と善意をもっと口にすることが多いわりには、実際にそれほど善良ではない。心の中で何らかの逆進装置が働いて、以前は他者に向けられていた注意が自分自身に集中し始める。本当に他者のためになる行ないをすることから、他者が自分を愛し、自分に良い感情を抱いていることへの再確認を求めることに注意が移る。通常のタイプ2には、自分が他者のために充分なことをしておらず、本当には「他者を味方に引き入れて」 いないという怖れが生まれていて、愛とは個人的に懇意で親密であることだと思い始める。確かに親密さは良い人間関係にとって本質的なものであるが、タイプ2は他のたくさんのものを除外して親密さだけに焦点を合わせ、ときには親密さを示すことが適切でない状況においても同じように振る舞う。それでも、タイプ 2は、どれほど自分が相手を気遣い、どれほど深く相手のためを思っているかを相手に気づかせたい。会話 をするときは、自分たちの間の関係はどれほど特別なものであるかを思い起こさせるように、当の相手と話すのが好きである。事実、タイプ2は相手ともっと親しくなり、相手は本当に自分を近くにいさせたがっていると自分自身に確信させようと努めている。段階4では、タイプ2はまだ人の役に立ち、気前が良いかもしれないが、気前の良い人間だと見られることの方に関心が向いているように見える。

 

段階5ー所有欲の強い「親友」

通常のタイプ2が持つ人間関係の才能を考えれば、彼らが、自分への依存を強めていく人々を自分自身のまわりに集めることは珍しいことではない。通常のタイプ2は、他者が自分を人生での重要人物であると見なしてくれるように、自分自身を中心に家族の延長もしくは共同体をつくりたがる。彼らは人々を包み込んで、人々が自分を家族の一員であると思い、また、家族の一員になるように招かれた恩義があるという気持ちにさせる。彼らは文字通りの意味で、また、感情面でも、何か他者に強い影響力を発揮するものを絶えず他者に与え続ける。誰にとっても、自分自身への一見心からの関心ほど、心を和らげるものはないから、自分自身の心理的な理由から母親の愛を求めている人々にとっては、通常のタイプ2ほど力を持つ人物はいない。 それが原因で、通常のタイプ2は自分を必要とする人々を求めて目を配るが、そのことが新たな難問を引き起こす。タイプ2は他者の世話をして感謝され、その見返りとして自分自身の必要を満たしたいと願っているので、機能障害を起こして感情面で物欲しげな人々を見つけ出すことは、最上というにはほど遠くとも、 充分な反響を得る好機になる。タイプ2は最後には、薬物常用者、虚弱な人、感情面で傷ついた人など、自分が払ってあげた心遣いにほとんど報いることができない人々に引きつけられる。このことは、自分が愛情を注いだ相手から特別な感謝の印を求めるというのでなければ、タイプ2にとって問題とはならない。悲しいことに、タイプ2は、自分が面倒を見ている人々が自分以外の人をもっと愛することを怖れるようになっていて、その人たちの人生にとどまるために他者に「必要とされ」なければならないと信じる。そのため、タイプ2は自分が愛する人々から必要とされる道を、ますます探し求める。彼らの超自我は、決してそれを彼らに認めることを許さないが、まさにそのために、タイプ2は、自分は無私無欲の愛で動機づけられているだけであると、自分自身に納得させ続けなければならない。もちろん、愛は彼らにとって至高の価値であり続けるし、自分もすべての人を愛したい。愛は、彼らにとって言いわけの種、理由づけ、あらゆることにとっての動機、人生での唯一の目標となる。どんなものに対しても一つの考えにとらわれるタイプがあるとすれば、愛について語る通常のタイプ2がそれにあたる。し かし、同時に明らかなことは、通常のタイプ2が愛について語るときには、それはすべての人の必要を満たす手段としての「自分の」愛のことである。このように、通常のタイプ2は、あらゆる人を愛と心遣いに飢えた貧しい子供のように見なし、相手が求めているか否かにかかわらず、そうした愛と心遣いを他者に押しつけ始める。他者につきまとい、干渉し、求められもしない助言を与え、境遇に立ち入り、出しゃばる。つまり、自己犠牲的な愛を名目にして自分から厄介者になる。

 

段階6ー尊大ぶった「聖人」

彼らの考え方は理解できる。通常のタイプ2は、良いことをたくさんした人々に善意の関心を抱き、自らを犠牲にし、他者の必要の面倒を見てあげたのであり、そのことで感謝されたいだけだと思う。彼らには、他者は彼らの払った努力を至極当然のこととして受け取っているように見える。誰も彼らの価値を 認めないし、彼らの必要を考えたり、彼らがしてやったように自分自身を犠牲にしようとする人もいないと 感じる。タイプ2は、他者は恩知らずで思いやりがなく、自分がどんなに良い人間であるかを思い出させてやらなければならないと感じる。そのようになるのは、タイプ2にとっては、自分の価値が他者によって補強されない限り、自分自身の真価を認めることそして、自分の攻撃的衝動を支配しておくことがむずかしいからである。かつてはあれほど他者志向に見えた人物が、この段階では自己中心的になって、自分自身に注意を引きつけるように計算された慎ましさを上辺だけは装っている。この段階でのタイプ2は、今や尊大ぶった人物になりきり、自分は他者にとってなくてはならない人物であると恩着せがましくも考え、自分自身を賞讃し、恥知らずなほどに自己満悦に浸る自分の数多くの長所について遠慮がちに語る。虚栄心は通常のタイプ2の大罪である。自分自身に大満足していて、あらゆる機会を捉えて、どれほど強く他者が自分を愛しており、自分がどれほど多くの友人を持ち、自分がどんな良いことをしてきたかを他者 に気づかせる機会を逃すことは決してない。彼らは、それが著名人であればなおのこと、知り合いの名を全部口に出す(名前を出すことは、タイプ2が友人としてどれほど重要な存在であるかを他者に印象づけ、多くの人がすでにそうしているのであるから、他の人も彼らの価値を認めた方がいいと伝言することである)。自己満足したタイプ2が自惚れの程度に気づかないのは当然である。他者に無私の聖人であると印象づけることが好きで、自分の善行が見過ごされたままにならないように、もちろん他者を教導するために自らの長所に人の注意を喚起する。

 

不健全なタイプ2の分析

段階7ー自己欺瞞の操り手

不健全な段階に突然落ち込むのには、人生で大きな不幸に遭ったとか、薬物常習などが背景にあるのがふつうである。しかし、そういうことが起こったとき、タイプ2は特に手に負えない動きを取って、事態を悪化させる。彼らの攻撃性は強く刺激されているが、それはすべてに善良であるべき自己像と矛盾するため、本当に感じていることを表に出すことができない。その結果、不健全なタイプ2は、自分が必死に求めているのと同じたぐいの愛情こもる反応を引き出させるように相手を操ることによって、自らの攻撃を間接的に表さなければならない。しかし、皮肉なことに、他者を操れば、彼らが受ける反応は、決して当人を満 足させはしない。愛されていると感じられないと、不健全なタイプ2はひどく傷つくだけでなく、自分の価値体系の全体、すなわち、「愛」の価値に疑いを向ける。もし自分が欲するものを自分にもたらす力を愛が持っていないとす るならば、何がその力を持っているのか? 愛した末に失ってしまったために、それに対してひどく腹を立てる。その答えは、もちろん、不健全なタイプ2にとって愛として通用するものは愛ではなく、極端な形を取った相互依存と絶望的なまでの要求だということである。段階7になると、タイプ2は神経症的になりすぎて、愛とは何かを理解することすらできず、愛という何かを与えるか受け取るかということだけになる。 それでもまだ愛という言葉は使っているが、それは言葉だけのことで、あからさまには見えないようにして他者から何かを得ようと目論む。人の操作というのがそのゲームの名前である。操り上手なタイプ2は罪悪感の大指揮者である。すなわち、彼らは他者をオーケストラのように扱って、必要に応じて、心をかき乱すように罪悪感の強さを高めていったり、ささやきにまで弱めたりする。彼らは、人々を互いに争わせるし、もっとひどいことに、自分自身と争わせることもできる。

 

段階8ー高圧的な支配者

通常のタイプ2に見た所有欲は、自分の好きなように、しかも神経症的なやり方で無理矢理他者からの愛を要求することに堕落してしまっている。そこに生じているのは妄想じみた権利感覚で、それは何であれ自分が欲するものを他者から得る絶対の権利を持つという感情である。不健全なタイプ2の観点からすれば、他の誰にとってもその人自身が欲しいものはすべて、彼らのお陰によるものである。なぜなら、それは彼らが過去において払ってやったと主張する自己犠牲の結果だからである。神経症的なタイプ2は、愛されないという怖れからヒステリー状態に近く、道理がほとんどわからないので、相手をするのが非常にむずかしい。自分の必要の強さを隠す力は衰えている。段階8でのタイプ2は、どんなやり方であれ、無私無欲というイメージを首尾一貫して保つだけのエネルギーを失っている。彼らは無私無欲であることにうんざりしている。今や彼らは、他者は自分の必要を優先させていると言い張る。自我が前面に押し出されていて、以前なら自我の必要は他者に対するさまざまな形の奉仕で間接的に満たされていたものが、他者に激しく要求を突きつける。 この段階でのタイプ2は、向こう見ずなまでに気ままに感情面の満足を追い求める。彼らは愛が欲しく、それを見つけるためならほとんどどんなものにも頼ろうとする。この不健全な段階にいる人は、非常に機能不全を起こしているような環境の影響を幼児期に受けていることが多く、肉体的、性的、感情的に 虐待されている可能性が高い。その結果、不健全なタイプ2は、真実の愛の上に倒れ込んだとしても、その愛がわからないだろう。そこで代わりとして、子供のときに保護者像との間で持っていたものと同じ繋がりを衝動的に求める。

 

段階9ー心身症の犠牲者

他者に愛を求めても何の成果ももたらされなければ、不健全なタイプ2は無意識に別の道を探す。これまでにも増して必死に、愛され、関心を示され、感謝されたがる。身体の病気が、自分の求めてきた感謝を獲得する確実な方法に思える。病人になることがその解決策である。つまり、病人になれば他者は自分の面倒を見るしかなくなるであろう。世話をされることは愛されることと同じではないが、彼らが得ようとしているものは最も愛に近いものであるかもしれない。神経症的なタイプ2は、肉体的に参ってしまうことを無意識に望むことで他者の愛を獲得しようとするが、それこそが常に彼らの根源的欲求であった。彼らは自分の言葉や行為に責任を持つことを怖れ、また、自分の攻撃が自分自身にまつわる偽善を暴いてしまって、自分にとって最大の怖れである愛されない人間にしてしまうことを怖れる。そのため、彼らは身体的な故障に陥ることで、自分自身に対する責任を無意識に免れようとする。身体が悪くなれば、ある意味で、それ以上の罰は免除してもらえるだろう。少なくとも彼らの頭の中では、身体の苦痛は、自分自身について最も重要であると主張してきたことの多くを確実に証明する。 つまり、自分は無私無欲であったし、他者の犠牲になってきており、他者のために精力を使い果たしてしま った、などがそれで、これらはどれも、彼らにとってある程度真実であるかもしれない。神経症的なタイプ2のようにしたたかで強情だと、途方もない矛盾の下で生きる緊張は耐え難くなるため、 健全さは崩壊する。他者に対する憎しみを統御し、正当化しようとする精神的緊張が、身体への代償を課す。 しかも、彼らの超自我は非常に毒性を持ち、しかも容赦がないので、不健全なタイプ2が他者の心遣い さらには何がしかの安心を得られると感じる唯一の方法は病気になることである。 心身症的疾患は、ヒステリー性転換反応として知られる作用の結果である。心理学的に見れば、神経症的なタイプ2は不安を身体症状に転換するヒステリー患者である。彼らは、たいてい、皮膚の発疹、胃腸障害、 関節炎、高血圧など、原因のはっきりしないさまざまな病気の犠牲になる。