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タイプ4の9段階

性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム

性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム

  • 作者: ドン・リチャードリソ,ラスハドソン,Don Richard Riso,Russ Hudson,橋村令助
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2000/07
  • メディア: 単行本
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 上記書籍を参照して要約しました。

 

 

健全なタイプ4

段階1ー霊感(インスピレーション)を受けた創造者  

すべての性格タイプの中で、非常に健全なタイプ4は自分の無意識からの衝動と最も接触している。彼ら は自分の内心の声に耳を傾けることを学び取っている一方で、環境から得る感動を素直に受け入れるままにする。最も重要なことであるが、彼らは自己意識なしに行動することができ、才能があり訓練を積んでいれ ば、自分の無意識の衝動に、芸術という名にふさわしい作品として、実在の形を与えることができる。 自己意識を超越してしまえば、非常に健全なタイプ4は、世界に何か新しいものをもたらすことができるという根本的な意味で、意のままに創造的になれる。もちろん、創造力を持続させることはむずかしいので、きわめて創造的な瞬間は訪れてはすぐ消え去る。しかし、タイプ4が最高の状態のときは、自己意識を超越 して霊感への道を開いているので、創造力を持続させることができる。彼らはこれ以上ないほど広くさまざまな源泉から霊感を得て、経験という原材料を無意識というフィルターにかける。そういうとき、霊感を受けたタイプ4は美しい真珠をつくる牡蠣のように、すべての経験を、つらい経験さえも、何か美しいものに変容させる。霊感を受けて創造的な仕事をすることで、健全なタイプ4は他者に啓示を与える源泉になるが、彼らはまるで崇高なものが世界に流れ込む導管のようである。彼らは創造するとき、個人的なものを、意図するものを超えて共鳴し意味を持つものとして普遍的に表現することができるので、その創造力は逆説的である。隠れた深淵にまで自分自身を開くことで、自分自身について何か真実なものを表現することができる。

 

段階2ー自己認識を持った直観力の人 

比較的健全なタイプ4でさえ、このように高い意識性の段階に常にいるとは限らない。霊感を受けて創造的な瞬間から引き下がって、その瞬間のことを考えたり、自分の創造性を楽しんだりするときは、創造性を持続させるのに必要な自己への無意識を失う。霊感を受けた創造性は、自己意識を超越し続けることによって、行為そのものの中においてのみ維持され得る。そうするには、あらゆる瞬間において絶えず自己を蘇らせることが必要である。実際、自己とは、物体と言うよりは過程に近い。しかし、タイプ4は、自らの絶え間なく変化する感情や印象の中には、自分自身を見つけることができないのではないかと怖れるようになる。自分の主体意識を突き止めることができないので内省を始め、自由に体験に身を任せようとしなくなる。そのため、何か特別な主体意識を掴もうとし出すや否や、彼らは自分自身を意識して霊感の湧き出る自然なままの性質を失ってしまう。タイプ4は自分を意識し、内省的になる。彼らの基本的な動機づけの一つは、自分が何者なのかを理解することである。 なぜなら、彼らは、自分にとって事実として感じられるようには、両親から映し返してもらえなかったからである。自己像、つまり自分が頼れる主体意識の根本を確立するために、タイプ4は他者にではなく、自分の内面の感情と感情面の反応に目を向ける。そうすることによって健全なタイプ4は直観という賜物と豊かな内面生活を手に入れるが、同時に問題も引き起こす。人間のあらゆる心理機構の中で、おそらく最も変化しやすく、激しやすいものは感情である。感情の世界から確たる主体意識を生み出そうと努力することによって、タイプ4は、自分が求めているものは決して見つけられないであろう道に足を踏み入れてしまった。これはどのタイプでも同じである。事実、後述するように、タイプ4が自分の感情と一体化すればするほど、その主体意識に困惑させられるようになる。タイプ4は、ユングの内向型直観タイプに相当する。

 

内向型直観は内面の対象物に向けられる。内面の対象物という用語は、正しくは、無意識の内容に当てられたものとしてよい。直観は外的事物によって刺激されるのかもしれないが、それは外的可能性に関わるのではなく、その 外的事物がその人の内面で解き放ったものに関わる。このようにして、内向型直観は、外向型感覚が外的事物を記録するのとほとんど同じくらいはっきりと、意識の背景にある過程をすべて読み取る。このように、直観にとって、無意識の印象が事物としての重みを獲得する。(C・G・ユング『心理学的類型』三九八~三九九頁)

 

段階3ー自分をそのまま見せている人

健全なタイプ4は、直観が自分自身について語っていることを知ることができるのであるから、自分の感じたままを表現する必要がある。彼らは、すべての性格タイプの中で最も個人的な人であり、他者の前に自分自身の姿を見せるとき、そこには率直さと信憑性がある。疑いや弱さは隠しながらも仮面をつけることはせず、自らの感情や衝動がどんなに見苦しくへつらわないものであろうとも、それに関して自分自身を欺くことはない。健全なタイプ4は自分の欠点や理性のなさを進んで他者の前に表す。なぜなら、こうしたことは、あるがままの自分に単に起こりがちなものではなく、自分の人としての真実を反映していると感じるからである。自分自身を他者に伝えるとき、良い面と同時に悪い面も、確信と同時に疑惑も、すべて含めて自分自身の全体を伝えるのでなければ、不誠実であろう。こうした思いには非常に人間的なところがある。彼らが人間的であるのは、その感情が純粋で深いこと、そして、もしそれが為すべき正しいことならば、たとい痛みを伴うことがあろうとも、自分の気持ちに触れていたいからである。健全なタイプ4は、自己実現ということよりも伝統やしきたりを重んじる人たちから、とがめを受ける危険を冒してでも、個人として自分に忠実であることを気にかける。私たちは健全なタイプ4からは感情への誠実さを見て取るが、タイプ4が自分自身についてあまり明け透けであって欲しくない人々にとっては、それは敵意を感じさせられることであり、ときには当惑させられることでもある。しかし、健全なタイプ4が社会にもたらすものは、模範となる人間性、誰もがその人はその人個人であることで価値があるという教訓である。

 

通常のタイプ4

段階4ー創造力豊かな審美家

通常のタイプ4は、感情、印象、霊感の流れを保つことができないのではないかと怖れる。これらは どれも通常のタイプ4にとって主体意識の基盤である。自分の創造力、そしてより深いところでは自己感覚 そのものは、感情、印象、霊感などをより強く、よりしっかりと感じない限り、持続しないと信じている。 そのために、タイプ4は、自分の感情をかき立て、本当の自分を表現していると自分が感じる気分を持続させるために、想像力を使うようになる。そうすれば豊かな幻想の世界に入り、まだ比較的他に害を及ぼさずにいるものの、世の中との交流から離れて身を引くという明らかな変化が起きて、自己陶酔という隠れた泥沼にさらに深く落ち込む。通常のタイプ4はまだ創造的であり続けたいが、その創造力はいくらか自意識過剰になっていて、普遍性はかなり失われる。健全なタイプ4は私たちの目にも芸術性があると見えるが、通常のタイプ4は自分で芸術的であると思っている。段階4では、自己表現のためにさまざまな手段を取ろうとするが、それらはあまり自然内発的ではなく、首尾一貫してもいない。これなら霊感が起きると自分で信じる気分を生み出す方にエネルギーが多く使われるので、作品は単発的なものになる。彼らの創造力は、大体において、想像の領域でしか生まれなくなる。 もちろん、通常のタイプ4がすべて芸術家ではなく、芸術家がすべてタイプ4であるわけでもない。しかし、感情面で健全でいるためには、自分の感情を表に出すことが不可欠であることには変わりなく、通常のタイプ4が従事する芸術活動はどれも、特に高く評価される。それは、芸術と美は自分自身の身代わり、つまり、一種の代理行為を通して世界に自己を表現する手段になるからである。

 

段階5ー自己陶酔の夢追い人 

通常のタイプ4は自分の気分や、自分自身や他者について夢のような空想を深めることに打ち込むように なるにつれて、世の中との交流、特に人との付き合いが多すぎて、自分がつくり上げようとしている儚い自己像が壊されてしまうと信じるようになる。他者が自分を恥じ入らせたり、自分が想像の中でつくり上げている自分自身のイメージとは違っている点をすべて指摘するのを怖れて、自分自身に近づくのを規制する。 たとえば、自分では偉大な芸術家であると思っていても、実際には芸術創造にあまり時間を使わなかったり、自分が創作しているものの質に疑問を持つかもしれない。しかし、想像の中ではどんなことでも可能であるし、通常のタイプ4は、自己像を支えてくれる人々や状況にだけ、取り囲まれていたい。この段階では、通常のタイプ4は遠慮がちで、内気で、極端に個人の殻に閉じこもる物思わしげな局外者で、痛いほど自意識過剰である。実際の自分はこうなのだと自分が信じている自分を他者に知らせたい。しかし、恥ずかしい思いをさせられたり、笑われるのではないかと怖れてもいる。これはまったく筋違いの怖れであるとも言えない。なぜなら、タイプ4は、自分自身の生い立ちや体験とはほとんど繋がりのない仮面を発達させているにちがいないからである。この段階ではタイプ4は自分自身を受け入れなくなっているが、タイプ3のように理想とする自己像を他者に印象づけようとはしない。それよりも、タイプ4には自己不信があるので、信頼の置ける数少ない近しい友人の他はみんなから、理想化された自己、本当の考えや感情もそのほとんどすべてを含めて隠してしまう。他者は自分の感情が微妙であることを正しく判断する力を持っていないと見なすことで、タイプ4はその行為を正当化する。

 

段階6ー放縦な「特例」 

タイプ4は、自己陶酔している時間が長ければ長いほど、実際面でも感情面でも、意図しない問題をそれだけ多く自分自身でつくり出す。彼らは社会的技能も職業的技能も発達させておらず、自尊心は自分の行動を絶えず再吟味することで傷ついている。彼らは傷つきやすいと感じ、自分自身に確信が持てない。要するに、通常のタイプ4が他者と違うと感じるのは、人から引きこもって自分自身の私的な空想を追い求めることで他者とは異なってしまったからである。そして、他者とは異なるがゆえに、自分はふつうではない方法で満たされなければならない必要を持っていると感じる。彼らはそのため、自分の欲求を満足させることで自分に欠けていると信じるものを埋め合わせたい。自分は規則に対しては例外であり、期待からは免れていて、まったく自由に「自分自身でいる」と感じる。その結果、彼らはまったく自制を欠き、感情面でも物質面でも、手に入る快楽なら何にでも耽溺する。タイプ4は、特別で首尾一貫した自己像をつくり出そうと努力してきたが、段階6では、それは非常に限られていて、「特定の特性に自分自身を塗り込め」てしまっている。自分自身はこうだと決めているときは、 大体において自分とはまったく違うものばかり、自分が嫌いなものばかりでそれだと考えているので、正常な人間生活を構成していてふつうに経験する日常の体験はほとんどはねつけられる。きちんとした定職には就きたくないし、それを探すのも嫌である。自分で料理したり、洗濯したり、社会活動や地域社会の問題に関わりたくもない。「烏合の衆」に対して軽蔑を感じることで、自分の主体意識に確信のないことへの防衛にする。そのような誰ともわからないような集団の一員になるようなことは自分自身に許せない。美意識の感覚を武器にして、タイプ4が大切に思っているものを大切にしない人たちを愚弄し、はねつける。それだけでなく、一般大衆の生活を軽蔑する一方で、嫉妬と憤薄でいっぱいにもなっている。他者の哀れな人生には関わりたくないと自分に言い聞かせているが、自己認識の深いところでは、本当は誰の人生が哀れなのかわかっている。他者が「平凡な」仕事に就き、結婚や友情に単純に幸せを感じているのを見て、自分自身の不幸せの深さに気づく。段階6でのタイプ4は、他者は浅薄で、本当の深さに欠けていると思っている。自分は本当の深さを備えていると信じているが、それでも他者の喜び、気取りのなさ、のびのびした自然さを見るたびに顔に平手打ちを食らった思いがする。タイプ4が自分の「深さ」は見せかけであって幻想でしかないこと、そして、その自惚れが意味のある本当の人生を犠牲にさせていることを知ることができれば、感情の泥沼から抜け出す道を見つけ出せたかもしれない。不幸なことに、多くのタイプ4が世の中に 背を向けて、自分には欠けていたと信じているものすべてを手に入れようと自分自身を助ける努力をする。

 

不健全なタイプ4

段階7ー疎外された鬱状態の人 

今まで見てきたように、放縦なタイプ4は、自分は特別扱いされて、自己満足の世界で自由に生きることができると考える。やがてこれが新しい不安の源をつくり出す。それは、自分の希望と夢、とりわけ自己実 現の希望を達成する可能性を失うのではないかという怖れである。自己実現とは、タイプ4が常に求めてきたものであるが、その夢が失われたと彼らに感じさせるようなことが起きれば、彼らは突然自分自身から切り離されたと感じる。自分がやったこと、あるいは、やり損ねたことが、自分に跳ね返ってくる。彼らはショックから、また、さらなる喪失から身を守ろうとして、自分自身の核となるものに突如として「渦巻き落ちる」。不健全なタイプ4は、自分が自分自身にしたことに対して、自分自身に腹を立てる。貴重な時間を浪費してしまい、好機を逃し、ほとんどすべての面で個人的にも、社会的にも、職業上でも他者に後れをとってしまったことに気づいて、恥ずかしいと強く感じる。彼らは人を羨む他の誰もが幸福で、教養があり、タイプ4が自分は成功していないと感じる多くの面で成功しているように見える。彼らにとって大変悲しいことであるが、自己陶酔に引きこもってしまったので、自分自身を発見する道がわからなかったことを知る。むしろ、事態はさらに悪化する。彼らは人生を浪費していて、しかも自分でそれを知っている。彼らは恐ろしいほどに当惑し、自己不信で苦しんでいると感じる。

 

段階8ー感情で苦しんでいる人 

意気消沈し、自分自身からも他者からも引き離されて、不健全なタイプ4はますます不健全になっていく。 抑鬱状態になり、正常に機能する能力を失ったために、自分が消える運命にあることを怖れる。自分自身に対する失望は、強い自己憎悪にまで深まる。神経症的なタイプ4は、自分自身をすっかり萎縮させるほどに自己卑下が強く、それが自分自身に襲いかかるので、自分にある最悪の部分だけしか見ない。彼らはあらゆることで自分自身を激しく非難する。それは自分が冒した誤り、浪費した時間、誰からも愛されることのない価値のなさ、人間としてのつまらなさなどに及ぶ。妄想じみた否定的な考えに掴み取られていて、容赦ない自責の念が妄想的思考を占領し、希望の光明は一筋も差し込むことがない。病的な空想が強迫観念となる。彼らは、自分が人生ののけ者であり、いけにえの犠牲者であり、両親が自分にしたことと自分が自分自身にしたことのせいで果てしなく苦しむ、と信じ込む。自分を哀れであると感じ、すべての人から拒絶されて当然であると感じる。自分が存在していること自体にも罪悪感を感じる。

 

段階9ー自滅の人 

状況が好転しなければ、絶望感は非常に深くなるので、神経症的なタイプ4はいろいろのやり方で自分自身を破壊しようとする。絶望的になると、残るのはその絶望がとる形式薬物か、アルコールか、その他の手段によって、直接的にか、間接的に自分自身を殺すことである。神経症的なタイプ4が自己憎悪のために人生そのものから切り離されていると感じるのを、他の性格タイプが理解するのはむずかしい。世の中のあらゆるもの|建設的で、美しく、素晴らしく、生きるために価値のあるものすべてが、彼らにとっては叱責になっていて、彼らはそのようにして残りの人生を生きていくと考えることに堪えられない。押しつぶされるほどに悲観的な自己意識から逃れるためには、何かをしなければならない。本質的には、神経症的なタイプ4は、人生に挫折したと感じ、再び力を取り戻す方法が まったくわからないので、自分自身を自分自身から自由にしなければならない。助けを誘い出す手段として自殺を試みることは可能であるが、神経症的なタイプ4の多くは、自分はまったく絶望しているからこそ、自殺という仕事をするのだと信じる。絶望したタイプ4は、自分の人生で進行している問題を最終的に解決する方法として、死を受け入れるのであろう。死は悲しみから抜け出す願ってもない機会であり、つらい自己意識が待ち望んだ消滅である。自殺は、激しい精神的苦痛から逃れる手段であるだけでなく、彼らを充分に助けず、彼らの必要としていることを理解せず、彼らを気遣いもしない人々に対する非難である。タイプ4の考え方からすれば、他者に愛と理解が欠けていたから、彼らは自分の生命を奪わなければならなかったのである。自殺は引きこもりの究極の行為であり、タイプ4が他者に苦痛を与える攻撃的行為である。このやり方なら、攻撃的にならず、 罪を犯さず、責任を取る必要もない。 タイプ4は自分自身を破壊することの方がずっと多いが、心の痛みが耐えがたいと、自分の人生を破滅させたことに責任があると感じている人を殺すこともできる。タイプ4の堕落に失恋が何か役割を果たしていると、嫉妬に打ちのめされて、衝動的に痴情犯罪を犯し、自分自身の生命を奪う前に片思いの相手を殺す。自殺にはまた、もう一つの魅力がある。自殺は、絶望しているタイプ4がまだ自分が支配できると感じる、人生でたった一つのものである。たとえそれが、人生に対して否と言い、苦しみ続けるのを拒否する可能性 にすぎないとしても、自殺について思いをめぐらすことで、自分がまだ何かの支配者であると感じる。