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タイプ7の9段階

性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム

性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム

  • 作者: ドン・リチャードリソ,ラスハドソン,Don Richard Riso,Russ Hudson,橋村令助
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2000/07
  • メディア: 単行本
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 上記書籍を参照して要約しました。

 

 

健全なタイプ7

段階1ー忘我の感謝を捧げる人

最高の状態では、非常に健全なタイプ7は、現実に充分な信頼を置き、環境に働きかけて何かを自分自身に供給させようとすることなく、環境との接触に身を委ねるままにしていることができる。自分自身から頭の中のおしゃべりの「楽しさ」に逃げ込むのではなく、瞬間瞬間に自らの体験と共にあることができる。かくして、人生の一瞬一瞬が精神的な糧と深い喜びの源になる。人生に存在するすべてのものが、自分を満足させるだけ充分にある。現実を深いところで体験することで、ただ幸せになるだけでなく、恍惚状態になるので、現実をただ受け入れるだけでなく、人生をあるがままに肯定するところまで彼らを推し進める。人生を肯定するので、人間としての存在の神秘、そして、その不確かさが自分にある印象を与えることを、タイプ7は容認する。しかし非常に健全なタイプ7は、存在につきものの脆さを不安に感じるのではなく、人生をあるがままのものとして誉め讃える。おそらく初めて、人生の物質的な外面を越えて、何か形而上学的な真実の可能性に至るものを認知することができる。それは以前ならちらりとも見ることのできないものであった。魂の奥底から現実を肯定することは、タイプ7にとって特別の成果であり、それは単なる精神的な幸福感以上の、言葉も感情も越えた恍惚感に導く何かの中に、タイプ7を押し流す。

 

段階2ー心に束縛のない楽天家

 健全なタイプ7といえども、段階1で見られるような非常に高い心理面の平衡を常に保って生きているわけではない。ある程度の不安が姿を見せる。タイプ7は人生の豊かさへの信頼を失うようになり、自分が必要とするものが充分にないのではないかと怖れるようになる。この変化は非常に微妙なもので、段階2でのタイプ7は、まだ非常に積極的で精力的な人物である。しかし、今現在の体験を充分に吸収するというよりは、これからの体験に期待するようになる。自分のやりたいことについて考えたり、自分が幸せでいるために必要であると信じる体験や事物をどのようにして手に入れるかを考えるようになる。そのため、自らの体験の直接性から一歩引き下がり、それだけ体験によって満たされることが少なくなる。自分を取り巻く世界に向かって外向きに焦点を合わせているので、健全なタイプ7は、他のどのタイプも比較にならないほど、体験に心を開いている。感覚の世界が彼らを興奮させ、彼らは自分の興奮ができるだけ長く、できるだけ多くの楽しい形で続いていて欲しい。彼らの心は手に触れることのできる世界によって飽和させられて、無意識の体験への通路をすぐに閉ざす。なぜなら、彼らは外部の現実にすぐに気づき、また、反応するからである。健全なタイプ7は、自分自身を幸せで熱狂的であると思う。自分が幸せでいることが好きで、精神的な幸せ、つまり、多幸感を人生の目標にする。ほとんどいつも上機嫌でいるので、楽しい仲間である。彼らの活気、活発さ、生きる喜びは人に伝わりやすく、他者は彼らと一緒にいると励まされると感じる。

 

段階3ー実績を上げる万能選手 

健全なタイプ7は自分の幸せと興奮を保ち続けることができないのではないかと心配し始める。喪失への 怖れは決して遠くにあるのではない。彼らは、自分を幸せにしてくれるものならどんな体験でも物事でも、確実に手に入れたい。その結果、健全なタイプ7は、人生に対する現実的で実際的な態度を発達させる。彼らは、満足した人生を送るために自由と金銭的基盤を持ちたいのならば、生産的にならなければならないことを知る。そして段階3では、タイプ7は自分が生んだ成果が創造的で、その量が多いことにびっくりする。自分の大きな活力と並外れた熱狂とを実際的な良識に結びつけるので、健全なタイプ7は並外れて生産的で創造的な人物になり、何か価値あることで他者に寄与する。自分が力を集中したことではどんなことでも良い結果を出す成功者である。彼らは万能選手であり、いくつもの分野で才能があり、まばゆいほどの多彩な技能を享受している。何をやっても非常に巧みなので、ある分野での経験から他の分野への橋渡し役になる。多様な題材、特に実際的な題材について驚くほど多くのことを知っており、多くの関心分野が互いに影響を及ぼし合って好結果を生む。健全なタイプ7を集団として捉えれば、すべての性格タイプの中で、おそらく最も有能である。非常に聡 明であるとすれば、彼らは早熟な子供だったのだろう。しかし、際立った才能に恵まれていてもいなくても、 タイプ7はふつう、その年齢や経験から他者が予期するよりも、はるかに物事に熟達している。その大部分は、彼らが外向性心理の持ち主であることの結果である。

 

通常のタイプ7

段階4ー経験豊かな世慣れ人 

体験は非常に満足を与えるので、タイプ7は、一つか二つのことだけに集中すれば、他のものを逃すこと になると怖れるようになり、かつて自分を幸せにしてくれたものをもっともっとと求め始める。これは不合理な欲求ではなく、くだけた表現で言えば「目が胃袋より大きくなる」わけで、すべての欲望がふくらむ。 その結果、通常のタイプ7は、少なくとも一回はすべてを見、すべてを行なえるようにあらゆることをする努力をするので、文字通りさらに経験豊かになる。そのようにすれば、何かを奪われることで生まれる不安を感じないですむ。健全なタイプ7と通常のタイプ7との違いは、健全なタイプ7は生産し創造することの方により関心を注ぐのに対し、通常のタイプ7は消費して自分自身を楽しませることの方により関心を注ぐ点にある。より多くさまざまな興奮を求めて、彼らはより広く網を張る。いろいろの所に行き、いろいろのことをする自由を重んじる。自分がしたいことをすべてやれるだけの充分な時間が人生には存在しないことを嘆き、自分を幸せにしてくれると信じる物事や体験を持つ可能性を失うのではないかと怖れるようになる。欲求は、まったく新しく、より良いものを求めて大きくなる。それは、大きな家や高級車を持つことから旅行や娯楽まで、 広い範囲に及ぶ。つまり、通常のタイプ7は、あらゆるものをもっと持てばもっと幸せになると考えるので、 もっと体験し、もっと所有したい。 通常のタイプ7にとっても、基本的な問題は不安である。

 

段階5ー異常に活動的な社交人 

通常のタイプ7は、行動すればするほど、種類や性質には無頓着にどんな体験でもするようになる。彼らは何事であれ、一瞬たりとも動きを止めることが怖い。そのようなことになれば、不安が頭に刻み込まれる機会になる。彼らは洗練さから離れて、絶え間ない活動に無制約に身を打ち込んで自 分を刺激し続け、それによって自己感覚を保つ。彼らは永久運動の中にいて、常にこれまでにない新しい体験を求めながら、持てるエネルギーのすべてを外に向かって注ぎ込む。それはまるで自分自身の中から遠心力を使って宇宙に飛び出して行くようなものである。これが彼らの信条となる。通常のタイプ7は、何に対しても否と言わないので、二十四時間が許容する限りの多くの体験を一日の中に詰め込む。絶え間なく多様性を求め、自分自身を楽しませるために、何か新しく違ったものを常に探し求 めている。そのペースは速ければ速いほど良い。自分の行為について考えたり、渦巻くような活動のさなかで一瞬立ち止まって思案することには興味がない。文字通り、すべてを素早く行なう。素早く食べ、早口 で話し、素早く考えるので、次の行事をどんどん進めることができる。通常のタイプ7は、時速百二十マイルの生活にあまりにも慣れているため、時速百マイルに落とすだけでも退屈でいらだたしい。 快楽原則が彼らを導く原則である。すべては「楽しく愉快で」あるべきである。楽しく愉快でなければ、彼らはたちまち興味を失い、何か別のことに移る。タイプ7は社交好きで、率直に意見を言い、華々しく他の「愉快な人たち」と付き合っていることが何よりも好きな著名人である。

 

段階6ー行きすぎの快楽主義者 

この段階では、通常のタイプ7は意識の世界に飛び込もうとすると、高まっていく悲嘆と怖れからものすごい精神的重圧を感じる。彼らは、どんなことをしても挫折感を味わうことがとても不安になり、あらゆること、特に一度でも気晴らしや楽しみを与えてくれたことのあることならどんなことでも、もっともっとと要求する。彼らは今やがつがつして厚かましくなり、自分の渇望のすべてがすぐに満たされるように、他者は自分に提供するべきであると主張する。肉体的にも感情的にも不快であることや、どんなことであれ不便な思いに我慢がならない。自分の欲求はすべて即座に満たされることを要求する。欲しいものはどんなものでも欲しいときにいつでも手に入れられるように大金を持つことは、この段階では、ほとんどのタイプ7にとって非常に重要な価値を持つ。そのとき典型的なことであるが、有り金のほとんどは自分自身のために使い、たいていはその過程で多額の負債を重ねる。どんなことに対しても否と言えず、クレジットカードを使えば欲しいものは何でも買えるのなら、自分自身を満足させるのを先延ばしする理由を探そうとはしない。充分なお金を持っていなければ、大金を得ることが優先順位の第一位になる。そのためなら金持ちと結婚したり、自分が慣れ親しんだやり方で暮らしていけるのに充分なお金を不正に儲けたりする。愛のための結婚は彼らにとっては空想的な理想であるかもしれないが、物質主義者のタイプ7 は、愛情とか愛情の不在ということが、欲しいものを手に入れる妨げとなることを許さない。彼らの生活様式は、派手な消費とこれ見よがしの見せびらかしが特徴で、まったくの行きすぎである。

 

不健全なタイプ7

段階7ー衝動的な現実逃避者 

タイプ7はある時点で、自分の追い求めている活動があまり楽しみをもたらしていないことに気づくことができるようになるかもしれない。実際には、その逆のことが多い。過剰さが精神的な苦痛となって、四六時中彼らを苦しめる。この事実を認識すれば、タイプ7は板挟み状態から抜け出せるのであるが、不安を避けることが先に立っていたり、すでに自分が対応できる以上に感情の痛みを抱えているときは、衝動的に逃避主義の状態になることがある。そのようなときは、攻撃的に、また、無責任に行動表出することで不安を解消させる。不健全なタイプ7は自分の体験をじっくりと見つめることがないので、自分がなぜこんなに不幸せで満足していないのかがわかると、途方に暮れるのがふつうである。特に、彼らはほとんどの時間を自分のしたいことをして過ごしているので、なおさらである。しかし、自分が不幸せであることだけは知っているので、 自分を挫折させ、自分のしたいことをはねつけたと思われる人や物を、相手構わず激しく攻撃するようになる。不健全なタイプ7は、砕けようとする波頭に乗ったサーファーのように、常に動き実際には逃避続けている。彼らは完全に放埒な現実逃避者になる。通常のタイプ7では抑制のない過剰活動であったものが、まったく見境のない行為に堕落してしまっている。そこにあるのは、自分を幸せにしてくれるか、痛みと不安を和らげるのに役立ってくれるものなら何でもいい、という感情である。向こう見ずな性交渉、酒や麻薬の馬鹿騒ぎにのめり込んで、完全に身を持ち崩すかもしれない。

 

段階8ー躁的強迫神経症の人

鬱症状と力比べをしているし、お気に入りの娯楽の楽しみは消え去っていくので、不健全なタイプ7は楽しみを求める能力を完全に失うのではないかと怖れる。彼らは本当の幸せを得る可能性すら失いつつある。 その結果、衝動性から躁状態へと堕落し、自分自身から完全に逃避する。何かを感じるために、「どんなこと」でもしようとする。不安と恥を正面切って体験しないですむだけの機能はしっかり残しておこうと努力しながら、可能な限りたくさんの自堕落な活動に突進する。彼らは、他の多くのタイプ以上に、少なくとも暫くは、結構機能しているという印象を与えることができるかもしれない。それでもやはり、神経症的なタイプ 7は、環境と人間関係を完全に滅茶苦茶にする。なぜなら、彼らは完全に統御から外れていて、その行為も気分もきわめて不安定だからである。彼らは竜巻の進路と同じくらいに気まぐれで、予測不可能である。通常のタイプ7で見た行動過剰は、躁的神経症に堕落してしまって、気分も考えも行動も目まぐるしく移り変わる。彼らの気分は、ほんの数分の間に、けんか腰の敵意から涙ながらの悔恨へと、感情の高ぶるままに揺れ動くかもしれない。当然のことであるが、他者はこうしたことに対処することが非常にむずかしいことを知る。そして、神経症的なタイプ7に道理を説いたり、その「上機嫌さ」に制限を加えようとしようものなら、タイプ7はさまざまなやり方で予想もつかない危険な反応を返す。タイプ7は、たいてい気分が高揚しているが、実際は妄想状態で有頂天になっているのであって、その気質には独特の不自然で衝動的な性質が加わっている。彼らはいやが上にも高揚し、世界の頂点に立ち、興奮のあまりめまいを感じる。まるで覚醒剤のアンフェタミンを服用したかのように、大声で早口にしゃべり散らす。自分なら何でもできると感じて、現実には実行できそうもない壮大な計画に大金を空費するかもしれない。あるいは、立ち止まって結果を考えることをしないため、高揚した感情を維持するために、薬物やアルコールを危険なほど多量に口にすることもある。

 

段階9ー恐怖に取り憑かれた「ヒステリー患者」

躁状態のタイプ7は、最後には身の回りにあるあらゆるものを「使い果たし」てしまうところまで行き着いて、自分自身の基盤となるものがまったくなくなってしまう。絶えず行動することで抑制できていた不安が、とうとう意識の中に押し入ってくる。しかし今や、行く場所もすがるものもない。その結果、怒り狂った獣に追いかけられているかのように、怖れでヒステリーのようになる。この言葉のふつうの意味通り、「ヒステリック」である。うろたえ、わななき、自分自身を助けるように行動したり何かをすることもできない。彼らの恐怖はそれほどに大きい。自分の世話は完全にできるように見えた冷淡で世慣れた人物が、突然洪水のように襲ってくる不安に打ち のめされ、そこからもう逃げることができない。防衛は瞬時に、また、完全に崩壊し、神経症的なタイプ7は圧倒的な不安に痛めつけられるがままになる。もちろん、どんなにわずかな不安でも、彼らには未知の領域である無意識から来るものなので、通常のタイプ7にとってさえ非常な脅威である。しかし、神経症的な タイプ7にとってはそれどころのものではなく、突然、不安に飲み込まれていくように感じる。かつてはあれほど揺るぎないものに見えた実在世界はその確かさを失い、無意識が意識の中に押し入って来るにつれて、 自分を飲み込んで行くような名状しがたい恐怖から彼らを救い出すことができない。最後の防衛が崩壊してしまうと、潜在意識に隠れていた痛みと怖れを伴うあらゆるものが彼らを襲う。悲嘆、罪悪感、精神的外傷、孤独、混乱、苦悩など、あらゆるものが意識の中に激しくなだれ込んで来る。その上、不健全なタイプ7はエネルギーのほとんどすべてを、こういった感情を避けるのに費やしてしまった ので、出て来てしまった感情にどうやって対処すればいいのかわからず、まったく途方に暮れてしまう。そのため、恐怖で完全に身がすくんでしまう。タイプ7は動くのも考えるのも怖い。そんなことをすれば、苦しみが増すことになるのが怖い。こうした恐慌状態になると、神経症的なタイプ7は、正常な人が悪夢の中でちょっとの間体験するような恐怖を、目覚めているときに体験する。正常な人は幸い悪夢から目覚めるが、その目覚めは、正常な人は現実と再び結びつくことで、恐怖を再び抑え込むことができるから可能になる。しかし、この段階での神経症的なタイプ7には、それは不可能である。彼らはすでに完全に目覚めていて、隠れる場所は存在しない。彼らは閉所恐怖症になったように、恐怖で身体が麻痺するのを感じ、自己の消滅、発狂、そして出口のない無限の苦悩に追い込まれる恐怖を感じる。このタイプでは、不健全な段階では躁的で向こう見ずな行動が共通しているが、それが肉体的な耐久力の限界を超えてしまう。不健全なタイプ7には、身体的な衰弱が激しいことを自覚する人が多い。無頓着に熱中したことによる事故、薬物やアルコールの濫用、性的な感染症、肉体の酷使から来る衰弱など、その原因は何であれ、結果は同じである。もう行動に飛び込むことで不安から逃避することはできないし、「逃避」 のための選択肢は非常に限られている。 彼らの不安の最も恐ろしい側面の一つは、その恐怖の源はこれであると、まだ名指しできないことである。しかもそのために、対処することがきわめてむずかしく、まして解決することはなおさらむずかしい。 そうなった理由は次のように考えられる。タイプ7は、外在的なものに動機づけられた生き方、つまり、体験と刺激を増やし続ける生き方に自分自身を委ねることが習慣になっていたことであり、また、その結果として、自分自身と接触するためには何の用意もできていないことである。段階を堕落していくにつれて、 彼らは、自分の怖れと痛みに対処しようとしないことが否定的な結末に至らないことを願いながら、ある意味で時間を稼いでいる。そして今、彼らは自分が誤っていたことに気づく。