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タイプ3の親への定位

性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム

性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム

  • 作者: ドン・リチャードリソ,ラスハドソン,Don Richard Riso,Russ Hudson,橋村令助
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2000/07
  • メディア: 単行本
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 上記書籍を参照して要約しました。

 

幼い子供として、タイプ3は養育者像に結びついた。その人物は、発達の初期段階で子供を鏡のように映し、子供の世話をし、愛情と個人としての価値感覚を与えた。幼いタイプ3は、他者が示す感情の状態に敏 感に順応したり反応したりして、養育者像が示す反応や半ば無意識の期待に合わせることを学んだ。養育者像はふつうは母親、もしくは、母親に代わる人物であるが、必ずしもそれだけに限らない。ときには、母親が現実にも感情的にもほとんど不在で、赤ん坊を育てた父親や兄姉である場合がある。また、乳母や祖父母がその役割を果たした場合もある。いずれにしても、養育者像は子供の面倒を見、鏡の役を果たした人物であることを理解することが重要である。人間形成期において、タイプ3は養育者像の欲求と希望に合わせることを学ぶ。養育者像の期待はそれとしてはっきりと表される必要はない。子供には素晴らしい直観が天与のものとして備わっているお蔭で、幼いタイプ3は、どういうことが養育者を喜ばせるか、どんな行為が自分を受け入れる表情や微笑みを生み出すか、を学び取る。こういったことはすべてまったく自然なことである。養育者像が充分に健全ならば、その子供が持つ本来の資質を鏡として映し返すので、その子供は健全な自尊心を備え、調和の取れた人間として大人になるだろう。しかし、養育者像が自分自身で自愛的な必要を未解決のまま抱えていれば、その度合いに応じてタイプ3は適応の度合いをもっと高めなければならないだろう。問題を抱えた養育者像を喜ばせるためには、幼いタイプ3は好意的に見られる「であろう」人物になることに専念しなければならない。養育者像がもっと病的で欲しがり屋であれば、タイプ3は自分自身の感情と必要をほとんど完全に切り離さな ければならないだろう。養育者像の期待が非常に非現実的なので、その子供は失敗する運命にある。子供にできることが少しでもあるとすれば、養育者像に自分を好意的に見させるようにするか、自分が存在していることを確認させることである。その結果、自愛的という深い傷を持ち、自分自身の心を捨てるように強いられたために深い敵意を宿した、自暴自棄な人間ができあがる。成人しても、タイプ3は幼児期に習い覚えたこのパターンを演じ続ける。彼らは、自分を称えてくれる人物で、自分が賞讃し尊敬する人物を探し出す。タイプ3は誰彼の見境なく自分を好きにさせるようにすることには関心がない。それよりも、彼ら自身が役に立ち成功した人物であると見なす特定の何人かに焦点を合わせる。こういう動機づけがあるので、タイプ3は、自分に値打ちがあるように他者に思わせることができるように、さまざまなことをするが、それがまた、拒絶される怖れにきわめて負けやすい状態にタイプ3を追い込む。彼らは、とにかく拒絶されないように、「敗残者」と見られないように根気強く努め る。養育者像から賞讃の眼で見つめてもらえば、彼らは愛されていて役に立つ存在であると感じられたし、いつも他者の目の中にどんなものであれ賞讃の表情を探し出そうとしている。賞讃を得られれば、生きていて、値打ちがあると感じられる少なくとも暫くは。それが得られなければ、「今あるがままの自分」では 価値がないという隠れた感情が表面に出て来るので、自分は空っぽで敵対的であると感じる。 通常のタイプ3は、幼児のときに、自分自身が評価されるのではなく、大体において自分が成し遂げたもの、自分があげた成果の質で評価されることに気づいていた。成人すると、これは非常に効率的な仕事のやり方として現れるが、親密さを強く怖れることにも繋がる。彼らも自分から人間関係をつくっていくが、相手が自分を充分に知る前に関係を断ったり、最も近くにいたいと思っている相手とは違う別の人との関係を結んだりする。彼らはそうやって自分の脆い自己像を守るが、それによって自分の幸せと他者との結びつきは犠牲になる。タイプ3は、他者は自分のイメージと成功があるからこそ愛してくれるが、もし本当に自分 を知るようになれば、イメージの下に隠れた人間がわかり、拒絶されることになると信じている。幼児期に養育者像とむずかしい関係にあったために、通常のタイプ3は、他者はありのままの自分を愛することができるという考え方を受け入れることができない。自分を拒絶した最も大切な人物は自分自身であるということに、彼らが気づくことは滅多にない。自分で成果をあげることをあきらめたり、内面にある傷つきやすい自己を敢えて表に曝すことは、タイプ3にとっては大きな危険を冒すことであると感じる。彼らは、自分の本当の自己は昔拒絶されてしまっていて、もう一度そういうことが起きることを内心で怖れていると感じる。また、本当の自己はどちらかと言えば好ましくないもので、自分の達成したことだけに値打ちがあると確信するようになっている。成果をあげることにとても打ち込んでいるので、それをあきらめることは考えられない。しかも、タイプ3がその危険を冒さなければ、他者の目から見て成功したことにはならない。また、成功とは自分自身であることだということがわからないし、他の誰とも関わることもできない。ましてや、誰か他の人からの愛を感じることなど、あるはずもない。悲しいことであるが、新聞や雑誌には、「すべてを自分の有利に生かした」のに、評判の良かったイメージが突然驚くほど悲劇的に否定された人たちの成功物語が満載されている。自分自身について良しと感じさせてくれると自分が信じたことを達成しようと倦むことなく働いたのに、感情は虚ろなままであり、それまで以上に苦しみに満ちていることを悟るだけでしかなかった人の不安や絶望を想像することは、誰でもできるだろう。


感想

以下、諸事情による感想です。

 

幼少期に、その後の人生における基本的な行動パターンが確立されるというおっそろしい事実。私はタイプ3だったら詰んでいた。あんなゴキちゃんの期待に沿うとかゴメンだぜ。

 

「社会的に受けのいい自分を演じる」要素は理解できる。とか言ってる時点でタイプ3ではないな。タイプ3の人間ってプライベートでどんな顔して生活しているのか全く読めない。それこそタイプ3の人間の望むところなんだろうが。