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【ユングのタイプ論】内向的感情とは

タイプ論

タイプ論

 

P417~419より引用

 

引用部分

 内向的感情は主として主観的要因によって決定されている。これはつまり、ちょうど内向的思考が外向的思考と異なっているように、感情判断が外向的感情とは根本的に異なっているという意味である。内向的感情過程を知的に説明したり、あるいは近似的に描写するのですらたしかにむずかしい作業ではあるが、それでもこれに気づきさえすれば、その独特のあり方が必ず浮かび上がってくるであろう。この感情は主として主観的な前提条件に支配されており客体との関わりは二次的でしかないため、これが人前に姿を見せることはきわめて稀であり、現われるときは必ずといってよいほど誤解される。この感情は客体の価値を否定しているように見え、そのためほとんどの場合否定的なものと受けとられる。肯定的な感情内容が存在していることは、いわば間接的に推測するしかない。これは客体に順応しようとせずその上に立とうとする、というのはこれが自らの奥底にあるイメージを現実化するよう無意識的に求めているからである。そのためこれはつねに、現実には存在しないけれども、昔どこかで見たような気のするイメージを追い求める。これは自らの目的に合わない客体に対しては、その上を何の注意を払わずに通り過ぎていくように見える。これが求めているのは内的な充実感であり、それに対して客体はせいぜい刺激を与えるものでしかないのである。この感情の深さはそれとなく感じとれるだけで、明確に把握することはできない。この感情の持ち主は無口で近寄りがたい、というのは客体の残虐性から敏感に身を引き、主体の奥深い背景を充実させようとするからである。彼は否定的な感情判断ないしあからさまな無関心を前面に出して、身を守ろうとするのである。

 根源的なイメージは周知のように理念であると同時に感情内容でもある。したがって神・自由・不死・といった根本的な理念も、理念を意味すると同時に感情価を帯びている。それゆえ内向的思考に関して述べられたことはそのまま内向的感情にも当てはまり、ただ違うのは前者が考えることすべてに対して、後者は感じとるという態度をとることだけである。ただし一般に感情内容よりも思考内容の方が分かりやすく表わせるという事実があり、そのためこの種の感情の場合にはその豊かさを近似的外面的に描写したり伝えるだけでも、非凡な言語的ないし芸術家的表現能力が必要となる。主観的思考は他との関係をもたないため的確に理解されにくいが、主観的感情にとってはこの困難は おそらく倍加するであろう。この感情は他人に伝えるためには外的な形式を見出さなければならないが、その形式は一方では主観的感情を的確に汲み取っていると同時に、他方では他人に伝えられたときに彼の中に同じようなものを 生じさせるようなものでなければならない。たしかにこの感情内容にぴったりする形式を見出すのはきわめてむずかしいが、人間が内的に(外的と同じように)かなりよく似通っていることを考えると、こうした作用を及ぼすのも不可能ではない。ただしこれは、この感情が実際にまだ主として豊かな根源的イメージを基準にして自らを方向づけている場合にかぎって言えることである。ところがこの感情が自分本位によって歪められると共感を得られなくなって しまう、というのはそうなるとこの感情はもはや主として自我としか関わり合わなくなってしまうからである。こうなるとそれはきまって感傷的な自己愛・自分本位・さらには病的な自己陶酔・といった印象を与える。ちょうど内向的思考の意識が主体化されると抽象の上に抽象を重ねようとし、結局のところきわめて密度は高いがそれ自体としては空虚な思考過程に到達してしまうように、この自己中心的な感情も深まるにつれて自分のことしか感じない無内容な情熱になってしまう。この段階は神秘的-忘我的であり、この感情によって抑圧されている外向的諸機能へ移行する準備段階である。

 ちょうど内向的思考の対極に原始的な感情・呪術的な力で客体に縛りつけられている感情・があったように、内向的感情の対極には原始的な思考・具体性と事実への隷属を同じように追い求める思考・がある。この感情は客体との関係からますます解放され、主観にしか束縛されない行動や良心の自由を獲得し、そのため場合によっては伝来の慣習をすべて捨ててしまうこともある。こうなると無意識的な思考が客体のもつ威力の手中にますます陥っていくことになる。

 

要約

 内向的感情は主に主観的要因によって決定されている。内向的感情過程を説明したり描写するのは難しい。内向的感情は主に主観的な前提条件に支配されており、対象との関わりは二次的でしかないため、内向的感情が人前に姿を見せることは極めて稀であり、現われるときは必ずといってよいほど誤解される。内向的感情は対象の価値を否定しているように見え、そのためほとんどの場合否定的なものと受けとられる。肯定的な感情内容が存在していることは、いわば間接的に推測するしかない。これは対象に合わせようとせずその上に立とうとする、というのは内向的感情が自らの奥底にあるイメージを現実化するよう無意識的に求めているからである。そのため内向的感情は常に、現実には存在しないけれども、昔どこかで見たような気のするイメージを追い求める。これは自らの目的に合わない対象に対しては、その上を何の注意を払わずに通り過ぎていくように見える。内向的感情が求めているのは内的な充実感であり、それに対して外部の対象はせいぜい刺激を与えるものでしかないのである。内向的感情の深さはそれとなく感じとれるだけで、明確に把握することはできない。内向的感情の持ち主は無口で近寄りがたい、というのは外部の残虐性から敏感に身を引き、自分の奥深い背景を充実させようとするからである。内向的感情型の人は否定的な感情判断ないしあからさまな無関心を前面に出して、身を守ろうとするのである。

 根源的なイメージは理念であると同時に感情内容でもある。したがって神・自由・不死・といった根本的な理念も、理念を意味すると同時に感情価を帯びている。内向的思考に関する特徴は内向的感情にも当てはまるが、内向的思考が考える態度を取るのに対して、内向的感情は感じとるという態度をとる。一般に感情内容よりも思考内容の方が分かりやすく表わせるという事実があり、内向的感情はその豊かさを外行きに描写したり伝えるだけでも、非凡な言語的ないし芸術家的表現能力が必要となる。内向的思考も的確に理解されにくいが、内向的感情は内向的思考の倍は理解されにくい。内向的感情は他人に伝えるためには外的な形式を見出さなければならないが、その形式は一方では主観的感情を的確に汲み取っていると同時に、他方では、他人に伝えられたときにも同じものでなくてはならない。確かにこの感情内容にぴったりする形式を見出すのは困難だが、人間が内的にかなりよく似通っていることを考えると、こうした作用を及ぼすのも不可能ではない。ただしこれは、内向的感情が実際にまだ主として豊かな根源的イメージを基準にして、自らを方向づけている場合に限って言えることである。ところが内向的感情が自分本位によって歪められると共感を得られなくなってしまう。そうなると内向的感情は自我としか関わり合わなくなってしまうからである。すると決まって感傷的な自己愛・自分本位・さらには病的な自己陶酔・といった印象を与える。この自己中心的な感情も深まるにつれて自分のことしか感じない無内容な情熱になってしまう。この段階は神秘的-忘我的であり、この感情によって抑圧されている外向的諸機能へ移行する準備段階である。

 内向的感情の対極には原始的な思考・具体性と事実への追従を追い求める思考がある。この感情は外的対象との関係からますます解放され、主観にしか束縛されない行動や良心の自由を獲得し、そのため場合によっては長年の慣習を全て捨ててしまうこともある。こうなると無意識的な思考が客体のもつ威力の手中にますます陥っていくことになる。

 

今北24行まとめ

・内向的感情は主観によって決定されている。

・内向的感情過程を説明したり描写するのは難しい。

・内向的感情の表出は稀で、よく誤解される。(内向的感情は主観的で、外部との関わりは二次的な為)

・内向的感情は対象の価値を否定しているように見え、否定的なものと受けとられやすい。(対象に合わせようとせずその上に立とうとする、内向的感情が自らの奥底にあるイメージを現実化するよう無意識的に求めているからである)

・内向的感情に肯定的な感情内容が存在していることは、間接的に推測するしかない。

・内向的感情は常に、現実には存在しないけれども、昔どこかで見たような気のするイメージを追い求める。自らの目的に合わない対象に対しては、その上を何の注意を払わずに通り過ぎていくように見える。※ここが「否定的なものと受けとられやすい」理由部分だと思われる。

・内向的感情が求めているのは内的な充実感であり、それに対して外部の対象はせいぜい刺激を与えるものでしかない。

・内向的感情の深さはそれとなく感じとれるだけで、明確に把握することはできない。

・内向的感情の持ち主は無口で近寄りがたい、というのは外部の残虐性から敏感に身を引き、自分の奥深い背景を充実させようとするからである。

・内向的感情型の人は否定的な感情判断ないしあからさまな無関心を前面に出して、身を守ろうとする。

・根源的なイメージは理念であると同時に感情内容でもある。したがって神・自由・不死・といった根本的な理念も、理念を意味すると同時に感情価を帯びている。

・内向的思考に関する特徴は内向的感情にも当てはまるが、内向的思考が考える態度を取るのに対して、内向的感情は感じとるという態度をとる。

・一般に感情内容よりも思考内容の方が分かりやすく表わせるという事実があり、内向的感情はその豊かさを外行きに描写したり伝えるだけでも、非凡な言語的ないし芸術家的表現能力が必要となる。

・内向的思考も的確に理解されにくいが、内向的感情は内向的思考の倍は理解されにくい。

・内向的感情は他人に伝えるためには外的な形式(芸術なり)を見出さなければならないが、それは主観的感情を的確に汲み取っているが、他人に伝えられたときにも同じものでなくてはならない。これは困難だが、人間が内的によく似通っていることを考えると、こうした作用を及ぼすのも不可能ではない。

・ただしこれは、内向的感情がまだ健全である場合に限って言えることである。

 

※以下が不健全な内向的感情の説明

・内向的感情が自分本位によって歪められると共感を得られなくなってしまう。

・そうなると内向的感情は自我としか関わり合わなくなってしまうからである。

・すると決まって感傷的な自己愛・自分本位・さらには病的な自己陶酔・といった印象を与える。

・この自己中心的な感情は深まるにつれて自分のことしか感じない無内容な情熱になってしまう。

・この段階は神秘的-忘我的であり、この感情によって抑圧されている外向的諸機能へ移行する準備段階である。

・内向的感情の対極には原始的な思考・具体性と事実への追従を追い求める思考がある。

・この感情は外的対象との関係からますます解放され、主観にしか束縛されない行動や良心の自由を獲得し、そのため場合によっては長年の慣習を全て捨ててしまうこともある。

・こうなると無意識的な思考が客体のもつ威力の手中にますます陥っていくことになる。※MBTIで言う劣等機能の外向思考を指すと思われる。

 

考察

筆者B「MBTIの元となったユングのタイプ論の内向的感情(MBTIで言うFi)についての解説。今後8機能分+各型の説明の予定」

筆者A「一番わかりやすかったのが内向的感情だったのでここからスタートした。個人的に内面にあるイメージを参照するという点、それを人にわかるように説明するのが非常に難しいという点、何かしらの表現する才能が必要になる点がハイライトだと思う」

筆者B「昔書いた『INTPから見たINFP』って糞記事覚えている人いるか?あそこで『才能無いとツムツム』とかデタラメ抜かしてたが、案外間違っていなかった事になる」

筆者A「そういえばINTPかINFPか微妙な人がよくいるだろ。この本でTiとFiの違いがよく説明されてるな。考えるのがTi、感じるのがFi」

筆者B「現実には存在しないけれども、昔どこかで見たような気のするイメージを追い求める。ってのをマジで実践するならFiだと思うぜ。ピンとは来るが追い求めはしないな私は。Janne Da Arc 月光花 歌詞 - 歌ネットこういう歌詞として真面目に出力しようとするならFiじゃないか?」

筆者A「歌詞とかに落とし込む所がそれっぽい。やっぱ出力しないと始まらないのか?」

筆者B「出力出来ないと始まらないんだぞ。生き生きしてるFiユーザー皆何かしら出力対象ありますやん」