NT’sのblog

役に立たないNT'sによる性格診断情報ブログ

タイプ2の概観

性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム

性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム

  • 作者: ドン・リチャードリソ,ラスハドソン,Don Richard Riso,Russ Hudson,橋村令助
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2000/07
  • メディア: 単行本
  • 購入: 1人 クリック: 3回
  • この商品を含むブログ (1件) を見る
 

上記書籍を参考にしました。

 

 愛はきわめて多くの様相を持っているので、定義するのはむずかしい。愛は人によって、また相手とどういった関係を結んでいるかによって、意味するものが異なる。愛という言葉は、数々の美徳ばかりか、悪徳を表すのにも用いられる。すべての性格タイプの中で、タイプ2は、他者に対して肯定的な感情を持つこと、 他者の世話をすること、そして、自己犠牲という観点から愛を考える。また、親密さという視点や、他者と親密になることとしても見ることがある。愛の全体像の中で、こういった側面が重要な部分を占めることは疑いがない。しかし、タイプ2がともすれば忘れがちになるのは、至上の愛であっても感情よりも現実により密接に結びついているということである。真の愛は、たといそれが互いの関係を危うくすることになるとしても、相手にとって最高のものであることを求める。愛は、最愛の人が強くなり自立することを欲する。 そのためには、タイプ2が相手の前から身を引かなければならないこともあり得る。本当の愛は、相手が進んで与えたくないものをその人から手に入れるために使われることは決してない。誰に責任があるにせよ、 反応のないこと、身勝手、過ちがあっても、愛はそれを乗り越える。そして、愛は撤回することができない。 もし撤回することができるとしたら、それは愛ではない。

 タイプ2を理解するために最も大切なことは、表面上は愛を与えているように見えたとしても、より深いところでは心底から愛を探し求めていることである。タイプ2は、自分が他者を充分に愛しさえすれば、他者もお返しに自分を心から愛してくれると信じている。繰り返し目にすることであるが、タイプ2は愛情、贈り物、奉仕、その他諸々を携えて他者の前に立ち現れるが、それに対して得られる反応に失望することが多い。しかし、タイプ2が自分自身を正しく愛することを学べば、自分が非常に愛しているのに反応がまったく返って来なくても、相手は自分を愛してくれていると感じ取ることができる。

 タイプ2は、人生で善なることの根源はすべて愛の力であると心から信じており、多くの点で彼らは正しい。しかし、一部のタイプ2が「愛」と呼ぶものは、その名に値するものとはまったく別のものである。この性格タイプの中には、考え得る限りさまざまな意味の愛が見られる。それは無私の真実の愛から、「人を喜ばす人」としてのへつらいや、絶望的なまでに人を操作したがること、「つきまとい」もどきの危険な妄想にまで及ぶ。愛の旗を掲げて行進する人々の中には、無私無欲そのものの天使から最も憎悪に満ちた悪魔まで、驚くほど多種多様な人種がいるが、タイプ2を理解するには、どうしてそうなったかを理解することが役に立つであろう。

 

感想

 本当の愛は、相手が進んで与えたくないものをその人から手に入れるために使われることは決してない。誰に責任があるにせよ、 反応のないこと、身勝手、過ちがあっても、愛はそれを乗り越える。そして、愛は撤回することができない。 もし撤回することができるとしたら、それは愛ではない。

 

リソって恋愛経験あるんだろうか。ここでの「愛」は隣人を愛するの愛だとか、かなり普遍的なものを指していると思われる。女子向けアニメの得意とするテーマ。ここで規定されているような本物の「愛」を理解し、作品に落とし込むというのは並大抵のことではないんだろう。

 

画面の中で愛を見ることはあっても、現実で愛を見る、つまり健全なタイプ2を見る機会は限られている。それよりも、『一部のタイプ2が「愛」と呼ぶもの』を目にする機会の方が余程多い。タイプ5とはまた違ったピンきりさ。

 

タイプ2を理解するには、どうしてそうなったかを理解することが役に立つであろう

 

要するにタイプ2の過去を追え、ということだろう。しかしエニアグラムって過去に遡って理解するには、親への定位があったか。

 

タイプ2の親への定位 - NT’sのblog

不健全なタイプ2の言う「愛」は、他者を繋ぎ止めておけるように依存関係をつくりたいという欲望に被せる、見せかけの化粧板以外の何物でもない。

 

リソのグーパンというのか皮肉がキレッキレすぎて積年の恨みを感じる。「愛の旗を掲げて行進する人々」の中に、こういった人々がどれほど居るのかを知る手段はない。(ぶっちゃけ顔を見ると大体分かる。大体ドヤ顔偽善者スマイル)。