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タイプ1ー抑圧と攻撃をめぐる諸問題

性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム

性格のタイプ―自己発見のためのエニアグラム

  • 作者: ドン・リチャードリソ,ラスハドソン,Don Richard Riso,Russ Hudson,橋村令助
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2000/07
  • メディア: 単行本
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上記書籍を参考にしました。

 

 本能の三つ組にいる他の二つの性格タイプと同じように、タイプ1は、心の一部を抑圧することをめぐる問題を抱えている。タイプ1は、自分の性質の中であまり理性的でない側面、本能的な衝動、個人的な欲望などを抑え込み、それらを完璧さの追求に昇華させようとする。理想を追い求める努力と現実世界で理想を実行することとの対立に挟まれるにつれて、人間としての正常な欲望はますます抑え込まれていく。しかし、タイプ1は二元的に世界に関わるので、その実態はずっと複雑である。自分自身を理想に及ばないと見なす一方で、自分がより良くする義務を負っている環境より自分は偉大であるという印象を与える。自分自身と理想との間の隔たりだけでなく、現在の完全性と過去の不完全性との間の隔たりを常に測っている。単純に言えば、タイプ1は、自分も世界も「進歩して」いかなければならないと感じる。理想に向けての進歩を阻んだり挫折させたりするとわかれば、それがどんなものであれ、それに怒りと批判を向ける。

 実際には、タイプ1には二重の元性がある。初めの一つは、上述のような外面的な二元性、つまり、理想を実現することへの精神的重圧とタイプ1は完全に正しいという確信との二元性である。この確信とは、タイプ1は、いかなる状況であれ、何が必要とされるのかを他者よりも良く知っているというものである。 二つ目は内面的な二元性で、これはあまり明白ではない。これは、彼らが世界に対して見せている自分自身のしっかりと統御された理性的な側面と、抑圧された本能的欲求や感情との間の亀裂である。皮肉なことに、タイプ1はしばしば感情的であり、自らの確信に対して情熱的なところがあるが、いつもそのことに気づいていない。自分自身を理性的で均衡がとれていると思うのが好きであるが、その一方で、自分の情動、特に攻撃的で性的な衝動を鋭く意識している。自分の衝動はできる限り抑制しておこうと努めるが、思うほどにはそれに成功しない。 

 こうした二元性のために、通常から不健全までのタイプ1は、常に葛藤に絡み取られていると感じる。それは、自分の理想である完璧性と自分自身の不完全さ、高潔であるという意識と罪深いという意識、行動と良心、秩序への欲求と至るところに目にする無秩序、善と悪、神と悪魔の間のせめぎ合いである。

 

ユングのタイプ論において

 タイプ1は、ユングの類型論では、外向型思考タイプ(Te)に相当する。これはユングの描写の中では最も明快なものの一つである。

 

 このタイプの人は、客観的な現実、あるいは、事実に即して整えられた知的原則を、自分自身のためだけでなく、自分自身の環境全体のための支配原理にまで高める。この原則によって善悪が測られ、美醜が決定される。この原則に一致するものはすべてが正しく、矛盾するものはすべてが誤っている......。この原則が生きることの意味全部を統合するように思えるので、それは、個人としても社会としても、いついかなる場所においても、実行されなければならない普遍的な法となる。外向型思考タイプが自分自身をこの原則に従属させるのとまったく同じように、周囲の人も皆、彼ら自身の利益のために、この原則に従わなければならない。なぜなら、この原則に従うことを拒む者は、誰であれ誤っているからである。そういう人は普遍の法に抵抗しているのであり、したがって、不合理で、不道徳で、良心を持たない。このタイプの道徳律は例外を許容することを許さず、その理想はいかなる状況にあっても実現されなければならない...。これは隣人の偉大なる愛から発するのではなく、正義と真理というより高次の見地から発する......。この過程においては、「べきである」と「ねばならぬ」が重要である。この原則に充分な幅があれば、このタイプは、改革者、検察官、良心を清める人として、社会生活で非常に有用な役割を果たすことができよう......。しかし、原則が硬直的であればあるほど、やかまし屋、あら探し屋、うるさ型になっていき、自分自身も他者も無理矢理に一つの型にはめようとしたがる。ここでは両極端を取り上げたが、このタイプの大多数は、その両極の間を動いている。(C・G・ユング「心理学的 類型』三四七頁) 

 

 本書の見地からすると、ユングはタイプ1の発達の諸段階に沿って、さまざまな特徴を描写している ことがわかる。通常のタイプ1は改革者であり検察官であるし、不健全なタイプ1は他者を容赦なく自分の型にはめ込もうとする、等々である。これからタイプ1の特性についてその全領域を見ていくが、そこには人間性の最も高貴な面と最も感心できない面が網羅されていることがわかる。

 

健全な段階

健全なときには、すべての性格タイプの中で最も客観的で、節操が高く、賢明な人物である。可能な限り人間的であろうとし、他者を公正に扱えるようにするため、個人的な感情を介入させないように努める。単に自分自身のためだけでなくすべての人のために、正義に深く関わる。

 

不健全な段階

 しかし、これと対照的に、不健全なときは、彼らの人生は、考え得るあらゆる状況に自分の理想を仮借なく当てはめるものになる。不健全なタイプ1は、自分とは意見の異なる人には、それが誰であれ極端に不寛容になる。しかも、自分だけが「真理(大文字で大きく書かれている)」を知っていると確信しているので、すべてはその真理から始まる。その真理に従わないものは非難され、厳しく罰せられなければならない。しかし、問題なのは、人間の特性はひょっこりと現れることである。不健全なタイプ1は、自分がしなければならないと感じているほど完璧には自分自身を統御できないことを知る。衝動はそれほど長くは抑え込んでおけない。肉体性が勝るときがいつかは来る。

 

感想

結構真面目な試験だと、試験監督がSTJのタイプ1とタイプ5ばかりなんだが、内面って行動に出るもんだなと関心する。たまに欠伸したり「暇ですわあ~^^」と顔に書いてあるのがタイプ5、キビキビ受験者の間を巡回したり、デフォルトでキレてるっぽく見えるのがタイプ1。

 

絶対手書きでしかメモ取らない系ISTJとかタイプ1の方なんだろうな。タイプ5の方が良くも悪くも合理的。