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【タイプ1】1.核をなす理論、術語、およびエニアグラム上の位置

憤怒とは

憤怒は三つの面から考えられる。

第一に『内面の怒り』

第二に『言葉にほとばしり出る怒り』

第三に『行動化した怒り』

 

怒りに対する反動形成

だが、この定義では、完全主義のタイプ1の特性は理解できない。確かに心の中では(多くの場合恨みの形をとって)怒ってはいる。 しかしタイプ846の怒りほどはっきりした形では現れない。怒りが言語化された場合で言えば、怒りやすいタイプの大きな特徴は、どのような言い方で怒りを表現するにせよ、その言葉を選ぶこである。行動化について言えば、タイプ1の人は確かに怒りを表現しはするが、怒りの表現は極めて論理的な形で行なわれるため、相手も自分も気が付かない。この性格特性の大部分は、怒りに対する反動形成として、破壊的行動を拒否し、慎重で善意に満ちた態度をに代替することである。

 怒りとは「現実に歯向かうこと」であるというオスカー・イチャーゾの定義は、感情や感情表出よりも、いっそう基本的な点に言及している。イチャーゾはタイプ1を「怨恨自我」と呼んだが、これはタイプ1の抱きやすい感情、単に苛立つというよりは抵抗し独断的な要求をする傾向を心理的により的確に表現している。私はこの性格の固着を「意識的善」と呼んだ。後に私はそれに「完全主義」のラベルを貼ることにした。これはあるがままの現実を、 自分が感じたことやあるべき姿に照らして否定することを示唆している点で適切と思われる。

 

反本能志向

 無意識の怒りが表出される最も典型的な形は、ほかでもなく徳の見せかけにおいてである。善意で立派すぎる性格は、怒りと破壊的傾向への防衛として生じたものである。とはいっても、それを暴力的な性格と考えるのは誤りである。まったく反対に、その対人関係のあり方はコントロール過剰で、洗練されすぎている。他者への関わり方にせよ、より一般的な体験にせよ、対立的な特質が顕著である。性格のタイプはどれも本能を妨げるものとみなされるとはいえ、この「清教徒的」 なタイプ1の反本能志向はきわめて顕著である。この性格に当てはまる名前、明白な精神病領域にも適用しうる名前は「完全主義」である。他の性格タイプに属する人々も自分が完全主義者だと言うだろうし、それはけっして間違ってはいないが、完全主義が最も際立って見られるのはまさしくタイプ1においてである。それは物事を改善しようとする強迫的傾向を含み、その結果、自他の生活を不幸にし、体験や出来事を既成の価値観や、規範、理想、好み、規則などに合わせようとする狭量な完全主義を造り出している。

 完全主義は、次善は最善の敵である(そして最善を求めることは次善の敵である)ということを例証しているが、それはまた認知上の偏り、すなわち義務と快楽、沈着と軽率、勤労と娯楽のそれぞれのどちらに従うべきかについての不均衡、あるいは成熟した慎重さと子供らしい闇達さとの間の不均衡を内包していると言ってよいだろう。

 より日常的な意味での完全主義者という言葉の延長として、私はこの性格を「怒りの徳」を持つものとした。この名称は怒りという感情面と、完全主義という認知面の両方を示すという利点がある。

 

肛門期

エリクソンの見解…肛門期の問題を括約筋のコントロールと歩行を学ぶ時期に生ずる自律性に由来するもの。

アブラハムとフロイト…排泄物で自分の体を汚すことの禁止が強迫的な潔癖につながることに初めて注意を喚起した。

著者はエリクソンの見解を評価しているが、アブラハムとフロイトの見解も「初めて注意を喚起した」点で称賛に値すると述べている。

 

タイプ9とタイプ2の間で

 タイプ1は「心理的怠惰」の傾向を持つ上部の三つの性格(タイプ912)に属する。私の経験から言うと、強迫神経症者のほとんどが自分を外向的だとする事実とは逆に、この主張そのものが彼らの心理面への関心の欠如を示している。というのは、彼らはどちらかといえば感覚運動的外向性格者であるが、同時に自分の持つ洗練さと知性への評価の一部である内向的自己理想を持っている。タイプ1はタイプ9と2に挟まれているが、これは完全主義性格が単に「反内向性」ではなく、誇り高いことに思いをいたさせる。実際に誇りという語は、本書で「誇り高い」とされるタイプの態度すなわち特別の敬意や賞賛を求めるというよりは、またとなき者として必要とされ、愛され、評価されることを求める態度を指すよりも、時として完全主義者の貴族的で傲慢な態度を特定するのに用いられている。  

 

強迫性人格障害

強迫性人格障害についての論文が最も多く書かれている。

著者の個人的な見解…それはこの人格障害が最も明白で診断しやすいからだろうが、ヨーロッパでしばしば強迫者を指して用いられる「アナンカスティック(制縛的)」という語の使用による混乱があるように思われる。また、精神分析の「肛門性格」症候群という語も、時には本来の強迫性性格者に用いられ、他の時には強迫的に見えるがより抑制された分裂病質の人を指して用いられているようである。私の経験では自我乖離性強迫の背景には、潔癖さと秩序愛が自我親和的である強迫者ではなく、 分裂病質性格がより多く見られる。

(分裂気質の人間が強迫性障害に振り分けられてしまう事があったため、やたら数が多い説を唱えている)

 

考察

だが、この定義では、完全主義のタイプ1の特性は理解できない。

そもそも「怒り」を認識する前に他の行動に姿を変えてしまう(反動形成)というのは、確かに冒頭の定義の範疇ではない。

 

無意識の怒りが表出される最も典型的な形は、ほかでもなく徳の見せかけにおいてである。

タイプ1の偉人とか漁ってみると面白いんだろうけど危なそうだ。何か出てきたらnoteで書こう。

 

参考書籍

性格と神経症―エニアグラムによる統合

性格と神経症―エニアグラムによる統合