NT’sのblog

役に立たないNT'sによる性格診断情報ブログ

【タイプ3】1.核をなす理論、術語、およびエニアグラム上の位置

虚栄とは

「虚栄」とは自己像に対する情熱、または他人の目にどのように映るかを無上の関心として生きる情熱である。外見のために生きるということは、関心の焦点が自分自身の体験ではなくて、他者の体験についての予想や幻想にあることを意味しており、したがってこの空しい試みの実質のなさを意味している。束の間の命と虚像(自分自身から発するものよりも)のために生きること以上に、「空しい事柄の空しさ」が当てはまるものはない。

 虚栄を「自己像のために生きること」として語ることは、自己愛について語ることと等しい。実際、自己愛はエニアグラムの右側に位置し、自己中心的な性格の普遍的な要素とされている。しかし、「自己愛」という言葉は複数の人格症状と関連して用いられてきており、またDSMⅢの刊行以来主としてタイプ7との関連において用いられてきたので、私はこの章の題にこの言葉を使用することを避けた。

 

タイプ2との違い

 虚栄は特にエニアグラムの「演技的性格」の領域(タイプ2、3、4)に存在する。しかし我々が見てきたように、高慢の場合は想像による自己の価値の高揚と特定の人たちの支持によって満足させられるのに、タイプ3の場合はそれとは異なり、不特定の一般の人々の前で自己像を積極的に披露することにより自分の価値を客観的に「証明」しようとするのである。このことは成功および、一般に受け入れられている基準や多くの人々によって良いとされているものへの精力的な追求へと向かわせる。

 

タイプ4との違い

 タイプ3と4との相違は主として、タイプ3が「売り物」のイメージに同一化するのに対し、タイプ4は醜い自己像により一致しており、このためけっして満たされることのない虚栄の体験によって特徴づけられていることである。この結果、タイプ3は快活で、タイプ4は抑鬱的である。

 

ごまかし

 序説で言及したように、イチャーゾはタイプ3の情動として虚栄よりも「欺き」について語り、虚栄を固着の領域に置いた。教職にある期間中のほとんどを通じて、私はむしろ虚栄を高慢に近い情動と考えることを選んできた。他方、「ごまかし」をタイプ3の性格の認知の核、または固着と見なしてきた。「欺き」という言葉は、虚栄に伴うごまかしの特定のやり方、タイプ2の嘘やタイプ8の策略とは異なるを想起させるのにあまり適したものではない。換言すれば虚栄には、事実についての真実の欠如というよりは(タイプ3は誠実で事実に即した報告者かもしれない)、感情についての真実の欠如と、「見せかけ」があるのである。

 

タイプ3の感情

 タイプ2のひょうきんな気質やタイプ4の悲劇的な気質とは対照的に、タイプ3の特徴的な気分は中立的な気分、あるいは自制された感情であり、「適切な感情」だけが認められ、表現される。

 

DSMⅢにおいて

 タイプ3の性格学的な気質がDSMⅢに記されていない唯一の気質だということは興味深い。このことは、タイプ3が二〇年代以降のアメリカ社会における最頻的人格(モーダル・パーソナリティ)を形成しているという事実と関連しているのではないかという疑問を提起する。

 

考察

「アメリカにタイプ3が多いんで、タイプ3的な気質の精神病は存在しなかった」というのが、パーソナリティ障害を語る上での中核かもしれない。「逸脱」していないからな、うん。

 

参考書籍

性格と神経症―エニアグラムによる統合

性格と神経症―エニアグラムによる統合