NT’sのblog

役に立たないNT'sによる性格診断情報ブログ

外向型感情タイプとタイプ2の解釈を考える(リソとユングのスタンスの違い)

タイプ2と外向型感情タイプ

〈感情の三つ組〉の中でのタイプ2

リソはエニアグラムのタイプ2は、ユングの性格類型論の外向型感情タイプに相当するとしている。しかしリソは、ユングの外向型感情タイプの説明の一部に異を唱えている。

 

タイプ2と外向型感情タイプの全容

双方のタイプへの見解は「感情のアンビヴァレンス」が特徴的なタイプという点で一致している。※「感情のアンビヴァレンス」…愛と憎しみ

 

両者共に、健全な状態では愛が、不健全な状態では憎しみが主体となる点でも解釈は一致している。

 

相違点

問題の核心は、愛が「どのような過程で」 憎しみへと変化するのか、の解釈の違いだと考えられる。

 

f:id:entpintp:20181113120345p:plain

リソの解釈「愛と憎しみは対極にあり、愛は堕落の過程を経て憎しみへと変わる」

ユングの解釈「全く同じ対象に対して直ぐ様正反対の見解を引き出す」

 

つまり両者の違いは「段階の概念の有無、及び同じタイプ内における洞察の程度」といえる。リソがユングの性格類型論の外向型感情タイプの説明を「あまり洞察に富んだものではない」として残念だとコメントしたのは、恐らくこの違いによるものだと思われる。

 

「アンビヴァレンス」がテーマとなるタイプだからこそ、最も強く双方のスタンスの違いが浮き彫りになったとも言える。

 

核心

つまり「類型論の同タイプ内での細かい違いをどの程度認めるか?」という区切り方の違いとも言える。

 

ユング…あまり同タイプ内での違いを区別しない

リソ…同タイプ内での違いをかなり区別する

 

リソの同タイプ内での違いの区別は、リソが書籍内で述べているように「ウイング」「ウイングの重さ」「段階」「生得衝動(本能)」といった概念によって成されている。

 

エニアグラム自体、同タイプ内での違いを細分化して捉える、つまり「離散変数の中に、限りなく連続変数の概念を認めている」

一方のユングのタイプ論は同タイプ内での違いを認めない、つまり「離散変数として捉える」という類型論のスタンスを遵守している。

 

余談

この解釈の違いは「エニアグラムで分厚い本を執筆するレベルに熱心なリソ」と「他にも色々やっていたユング」の違いによるところも多分大きい。

 

くっそ簡単な例:

ユング…世界史の専門家

リソ…日本の近世の専門家

 

外向型感情タイプとタイプ2、つまり「日本の江戸時代における云々」の話となると、リソの方が詳しいのは自明の理とも言える。要は専門分野の守備範囲の違いが根底にある。